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日蓮大聖人・池田大作

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第一回関東会研修 魔との対決に勝て

1982.7.24 「広布と人生を語る」第3巻

前後
1  ただいま御本尊に、長崎県の水害に遭遇して亡くなられた方々の追善の唱題をさせていただいた。また、この席をお借りして、災害にあわれた方方に心からお見舞い申し上げる。
 本日は、第一回の関東会の研修会にあたり、つれづれの思いを語らせていただきたい。少々、雨も降り、陽気も寒いので風邪をひかないよう願いたい。
 千日尼御前御返事に「一の師子に百子あり・彼の百子・諸の禽獣に犯さるるに・一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分に」との御聖訓がある。
 とうぜん、師子王とは大聖人のことであられる。また、師子吼とは、南無妙法蓮華経である。百子とは、仏子であり、これを普遍的に信心でとらえれば、妙法受持の方々ともいえる。
 その意味からすれば、「彼の百子・諸の禽獣に犯さるるに」とは、多くの仏子が世間からいじめられる、また苦しめられることである。
 それをリードしていく指導者、すなわちわれわれ幹部の、強い祈りと確信あふれる言々句々がいかに必要であるかがうかがえる。指導者の確信によって、すべての人々に力と勇気をあたえていくことがいかに重大であるかとの御文と拝せるのである。
2  北篠前会長の遺志を継ぎ、秋谷会長を中心として、皆さま方はほんとうによく戦ってくださった。この数年間の弾圧と迫害の労苦を乗り越えて、見事に力をつけられた。副会長たちは、それぞれの分野で立派に成長した。県長、区長、そして県婦人部長、区婦人部長の方々も、いっさいの苦難を見事に乗り越えてくださった。とくに青年部の成長はめざましいかぎりである。学生部も同じであり、未来部も勇んでこれに続いている。
 創価学会は創立以来、ここに五十年を少々過ぎた。しかし、実質的には、戸田先生が第二代会長に就任されて以来の、三十数年間である。人生三十歳といえば、まだ若い。壮んなるときである。保守的になり、世の批判を恐れたり、迎合するようなことがあってはならない年代なのである。
 ともあれ、私は、総合的にみて、五十年先の学会の基盤は完璧にできあがったと宣言しておきたい。すなわち、創立百周年までの流れは、すべて完成されたと深く確信するしだいである。ただし、強盛なる信心、折伏精神のこの一点だけは絶対に忘れてはいけない。
3  歴史的にみるに、いわゆる世界的な宗教であるキリスト教、イスラム教等々は、それが世界に定着するまでに、数百年かかっているといわれている。戸田先生はよく「二百年先を見とおしながらの前進たれ」といわれていたが、その意味がここからもわかると思う。
 わが日蓮正宗の歴史は、立宗より七百三十年。その根本的基盤は完全に確立されている。それを基調としての世界への広宣流布が、いま始まっているわけである。
 根が完全であれば、永く栄えていくことはまちがいない。それが道理であるといってよい。
4  日蓮正宗の根幹をなすものは血脈である。大御本尊を根本とし、代々の御法主上人が、唯授一人でこれを受け継ぎ、令法久住をされてこられた。御本尊を御認めあそばすのは、御法主上人御一人であられる。われわれは、令法久住のための信心を根幹として、広宣流布に邁進しているのである。しかし、いくら広宣流布といっても、御本尊の御認めがなければできない。われわれは、あくまでも総本山根本、御法主上人厳護の信心で進んでまいりたい。
 仏法は、元来、「仏」と「魔」との戦いであるといわれる。「魔」とは、一生成仏の信心を妨げる働きである。広宣流布を阻害する反動の力である。「仏」と「魔」との戦いは、すなわち幸福と不幸との対決である。
 御書にも「三障四魔」と多く仰せになっている。三障とは、ご素じのように煩悩障、業障、報障の三つをいう。このうち煩悩障は、いわゆる貪り、瞋恚、愚痴等の惑によって起こる障りである。業障とは、五逆、十悪等の業によって起こる障りである。また、報障りとは、三悪道、誹謗正法等の果報が仏道の障礙となることである。
 次に「魔」とは、殺者、能奪命と訳されている。また、障魔、擾乱、破壊、悪者とも訳されている。この数年来のさまざまな様相を信心からみるならば、明確に魔の所作であることがわかるわけだ。みずからがもはや三障四魔に負け、宗門を破壊しようとし、宗門と学会のあいだを攪乱させんとする悪者の仕業であったのである。すべて山崎、原島の仕業であり、また正信会の悪侶の仕業であったことが明々白々となった。
5  御書には、「日蓮智者に非ずと雖も第六天の魔王・我が身に入らんとするに兼ねての用心深ければ身によせつけず、故に天魔力及ばずして・王臣を始として良観等の愚痴の法師原に取り付いて日蓮をあだむなり」(御書一三四〇ページると仰せである。
 この御文をおして私ども妙法の信徒は、断じて魔に負けてはならないとの、厳しい戒めを痛感しなければならない。
 また「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」とも仰せである。
 この仰せどおりに信心をまっとうしていくためには、日々、勤行・唱題の真剣な持続にあることは論をまたない。また、不幸へと向かわせる魔との対決のために、こ御聖訓の戒めどおりに、信心指導をし、激励をしあっていくのが学会という同志の世界である。われわれは、大聖人の御指南をそのまま徹底していく責務があるのである。
 ゆえに私は、この御書どおりに、魔に勝っていく信心の方途は、学会活動に挺身する以外にないと申し上げておきたい。
6  御書には「麻畝の性」との御言葉がある。一人で信心をまっとうすることは、なかなかむずかしいものだ。皆で勤行し唱題し、皆で教学を学び、皆の力で広布への威光勢力をましていく信心をしていくことが正しいのである。この教団をみずからのために支え、守っていくことはとうぜんの理である。
 三障四魔との戦いがなければ、学会に対する非難はなくなるだろう。しかし、かりにそうであるならば、大聖人の仏法でもなく、信心の破壊につうじてしまうことを銘記しなければならない。難のあることは、正法正義の信心を貫いていることの証明であると確信したいものである。
 仏は、三世を如実知見しておられる。凡夫は目先のみにとらわれている。ゆえに私どもは、御本仏日蓮大聖人の御聖訓のままに信心していけばよいのである。
7  生命は永遠である。そこで未来世をみる場合に、信心の厚薄、信心の浅深が重大な課題となる。なぜならば、おのおのの宿命によって個人差があろうが、広宣流布への信行が持続いかん、また功績いかん、そしてまた、苦難をいかに乗りきってきたかという信心のいかんによって、未来にうけるその生命の果報は、おのずから大きく違ってくると考えるからである。
 もし、この世で、完全に一生成仏の信心をまっとうしきれないときは、来世、再来世と、どこまでも厳しき因果の理法を感じとっていかなければならないであろう。
 ともかく、広布のために苦労したぶんだけ、永遠の財宝となっていくのである。
 そのために、私たちは、“真剣なる信心を、真剣なる修行を”と指導せざるをえない。それが一つの慈悲であると思うからだ。
8  学会二世の育成、ならびに青年部から壮年部へと移るときの信心のあり方が、これからはとくに大切になると思う。
 ある著名な新聞記者がいっていた。「われわれでも、またいかなる大会社でも、はじめはすべて地方まわりから始まる。その鍛練の修行が終わって、ある年齢になってから本社に帰ってくる場合が多い。原島や山崎をみると、彼らは二世であり、大事にされすぎて失敗している。もっと辺地へでもどこへでも、どんどん容赦なく、地方まわりをさせながら鍛練が必要ではなかったのか。いわんや学会は、人間鍛
 練の世界ではないのか」という意味のことでった。まさしく、そのとおりだと私は思った。
 信心の世界では親の功績も別問題である。青年部から壮年部に移れば、さらに信心の鍛練を深くしていかなければならない。また、それをいかになしていくかという課題に、皆さまは真剣にとり組んでいただきたい。そのこめに少々の退転者がでても、少しも恐れる必要はない。これが“学会精神”の栄永遠性を決めていくと思うからである。
9  何か事件があると、人の心は揺れるものである。あの人がと思う人が、豹変する場合もある。今回の事件の本質は、すでに私は見ぬいていたつもりだ。自分たちの思うようにいなくなった腹いせなのである。元幹部であるという理由から、マスコミが飛びつくのもとうぜんなことであった。それは彼らに力があるからではなく、学会の存在が偉大であるゆえに騒がれるのである。彼らを知る人々は、彼らのいうことなどまったく信用していない。すべて虚構だからである。悪の構造の本質がわかれば、何も騒ぐことはないのである。
10  私もこの年齢になって、年配者の経験豊かな話がいかに大切であるかがわかってきた。「将の将」として育っていく皆さまは、年配者の意見も大切にしながら、生きて生きて生きぬいて、広宣流布のためのご奉仕をお願いしたい。
 また、よく私は年配者にこう激励する。
 「西ドイツのアデナウアー首相は八十代まで国家のために奉仕した。いわんや妙法を護持した皆さま方は、彼に負けないぐらいご長寿で、広宣流布にご奉公願いたい」と。
 いま、松下幸之助氏や土光敏夫氏も、八十代であってもなおかくしゃくとして、社会で活躍しておられる。皆様方も、その地域における信心深き存在として光を放ちながら、広布の大道を歩んでいっていただきたい。
11  私どもはいま、二〇〇一年五月三日をめざしている。これは一つの大きな目標である。さらに、その翌年の二〇〇一年には立宗七百五十年年という大佳節を迎えるのである。その立宗七百五十年を絢爛、壮大なる儀式をもってお祝い申し上げたいというのが、私の信心であり、心境なのである。どうかその目標へ向かって、ひたすら堅実なる一歩一歩の連続勝利の前進を祈ってやまない。
 思えば、私どもはたいへんな福運をもって生まれた。代々の御法主上人のもとに、立宗七百年祭、さらに熱腹法難七百年、また大聖人大七百御遠忌等々、数多くの佳節を慶祝することができた。さらには、大石寺開基七百年も迎えることできる。
 いままた立宗七百五十年をめざすことは、まことに意義深いといわなければならない。最高に仏縁深く、福運厚き私どもであるとともに、難の大なるも、またやむをえないのである。
 このすばらしき時代に生をうけ、信心をし、広宣流布に戦うわれわれは、何と誉れ高き人生であろうか。これ以上の栄光の人生はないのである。
12  関東で活躍される皆さま方は、都会と違って地域も広く、あらゆる点でご苦労も多いと思う。そのなかをよくここまで奔走してくださった。これからも健康に留意しながら、その地域の広布のためにご苦労を願いたいと申し上げ、本日の話としたい。

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