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日蓮大聖人・池田大作

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東南アジア信心懇談会 妙法の大功徳を満喫

1982.7.20 「広布と人生を語る」第3巻

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1  このたび香港三百七十六人、タイランド三百六十人、インドネシア五十一人、合計七百八十七人の東南アジアの友人が、総本山参詣のために来日され、私どもは心から歓迎申し上げる。
 皆さま方の遠路の参詣登山が有意義であり、平安の旅であられんことを、心からお祈りしている。大御本尊に御目通りした功徳は大であると確信していただきたい。とくに今回は、初登山の方がまことに多いとうかがった。引率してきてくださった幹部の方々に心からご苦労さまと申し上げたい。
2  日蓮大聖人は「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし」と仰せである。日蓮大聖人の御魂は、多宝富士大日蓮華山大石寺にまします本門戒壇の大御本尊に御留めおかれているのである。
 元来、仏法の根幹をなすものは慈悲である。慈悲とは「拔苦与楽」のことである。「拔苦」とは苦しみを抜き、「与楽」とは楽しみを与えるとの意味である。
 そして日蓮大聖人の仏法の当体は御本尊であり、この御本尊に南無し、信行に励むときに、みずからの苦悩をぬきとることができるのである。そして、わが生命のなかにある「常楽我浄」の生命が厳として湧現するのである。ゆえに、この御本尊に唱題し、この御本尊を教えていくことは、もっとも尊いことなのである。
 何があっても、またいかなる境遇にあっても、生きていることじたいが、楽しくて楽しくて仕方がないという人生であるために、信仰が必要なのである。
3  また御書には「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」と仰せである。
 簡潔にいうならば、インド応誕の釈尊の五十年間の説法の功徳は、南無妙法蓮華経のなかにすべてふくまれている、との仰せである。まことに深き功徳をそなえた仏法なのである。いま、われわれは仏縁深くして、人類四十数億に先駆けてこの太陽の仏法を拝することができた幸せ者である。
4  この三大秘法の大御本尊に南無し、唱題し、信行に励んだ人には「祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり」(観心本尊抄文段)と、第二十六世日寛上人は断言しておられる。
 「祈りとして叶わざるなく」とは、各人の幸福への祈りは違うかもしれないが、自己としての幸福がかならず得られることである。
 「罪として滅せざるな」とは、いっさいの罪業を消してくださるということである。
 「福として来らざるなく」と、無量の福徳をつんでくださるのである。
 「理として顕れざるなきなり」とは、法華経や御書の御文のとおりに、生活のうえに厳然と法理があらわれることである。
 この偉大なる大御本尊に帰依し、わが人生を最高に有意義に、悔いなく生きられる私どもは、それぞれの国にあって、よき市民として、よき仏法者として、立派にして模範の生活を送っていかなければならないと思う。正しい信心、正しい生活、正しい人生を生きぬいていくことが、信仰者の姿勢でなければならない。
 ただし、信心の厚薄によることを忘れてはならない。釣り鐘を強く打てば、大きな響きがある。弱く打てば、小さな音しか出ない。これは道理である。と同じく、信行学が強盛かどうかによって、その結果のいかんが決まることを知らなければならない。
5  ご存じのとおり、私どもは日蓮大聖人の仏法を奉ずる信徒である。
 その大聖人の仏法は、第二祖日興上人、第三祖日目上人、第四世日道上人、および御歴代上人、そして現在は第六十七世御法主であられる日顕上人猊下まで、法灯連綿と血脈相承されている。
 ゆえに日顕上人猊下の御指南を仰ぐべきなのである。この一貫した仏法の正しき流れを、いささかなりともたがえてはならない。私どもはこの大聖人の仏法を、正しく東南アジアの皆さまにお伝えする責務がある。
 ただし、その国々の法律、習慣、文化、教育、た政治等については、いっさい干渉するものではない。あくまでもそ国の法律にしたがっての宗教法人として、その国の平和と文化のために、法律に定められた法人の役員が立派に運営していくことを、ここにかさねて申し上げておきたい。
 したがって、私どもの責務は、信仰者としての一人ひとりを対象としながら、いっさいの指導、激励にあたらせていただくことにある。ゆえに、世界の各国にあっても、その人の職業や社会的地位に関係ないことをご了承願いたい。
6  妙法のもとに、皆さまはすべて仏子であり、兄弟であり、平等である。法華経に、また御書に説かれているとおり、法を謗り、仏子をいじめれば、かならず仏罰がある。また、仏子には、かならず諸天善神の加護があることを確信していただきたい。
 自己のために、仏法を利用し、組織を利用し、信心ある人々を手段にするようなことがあっては、けっしてならない。また、国法をよく重んじ、宗教の活動にあっては、けっして感情的なトラブルを起こしてはならない。
 東南アジアにおいては、広宣流布の道をひらいた陳尊樹理事長をあくまでも中心としていただきたい。またそれぞれの国にあっては、各国の役員の方々を支えて、怨嫉なく、妙法の大功徳を満喫しゆく、すがすがしい雪のような信心をお願いしたい。
 「怨嫉」の「怨」とは「障り末だ除かざる者」をいい、「嫉」とは「聞くことを喜ばざる者」をいう。信心の世界にあって「怨嫉」はけっしてあってはならない。怨嫉のある人は求道心を失ってしまうからである。大事な正法と信心の流れを、自己の感情によって壊していくことは、厳しく戒めていくべきである。
7  さきほど森田理事長から話のあったとおり、とくに東南アジアは、世界のなかでも仏法有縁の天地である。その理解はまことに深く、早いものがある。さきほどともどもに勤行させていただいたが、皆さま方の勤行の正確さに驚いた。見事であった。(拍手) 
 これからも日蓮正宗の伝統法義を確実にふまえながら、一歩一歩、着実なご発展をお願いしたい。そして日蓮正宗の、この絶対平和主義の信仰の花の輪を広げながら、ともどもに世界平和へ少しでも寄与していきたいと思うのである。いずれの国にあっても、内乱もなく、戦争も絶対にあってはならない。ともに平和な社会、平和な世界をつくるべく、御本尊に真剣に祈念していきたいものである。
 妙楽大師いわく「一身一念法界に遍し」と。わが一念の信心の強き祈りは、全宇宙にまでつうじるとの御文である。これが妙法の力である。ゆえに、世界平和への推進もまたまちがいないことを確信されたい。
8  香港の栄光をお祈り申し上げたい。インドネシアの隆盛をお祈り申し上げたい。
 また、タイランドの平和と安隠をお祈り申し上げたい。また少しでも皆さま方の激励になれば、青年による応援もしたいと思っている。
 また、いままでどおり日蓮正宗国際センターの滝本安規事務総長が核となって皆さま方を応援していくが、秋谷会長もSGI理事長であり、国際センターの理事長でもあるので、なんでも相談を願いたい。
 私もできるかぎり時間をみつけ、東南アジアの地を訪問したいと思う。
 最後にかさねて、東南アジアの方々がのますますのご多幸とご健勝をお祈り申し上げ、私のごあいさつとさせていただく。

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