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厚田支部、旭川・空知田代表者との懇談会… 生々世々、妙法とともに

1982.6.25 「広布と人生を語る」第3巻

前後
1  厚田の戸田記念墓苑も五周年を迎えることができた。職員はもちろんのこと厚田の方々のご支援によってこのように完備され、心から感謝申し上げたい。さきほど、記念の勤行をさせていただいた。
 とくに御法主日顕上人猊下の御慈悲により、ここに墓苑内に三師塔も建立され、一昨年には御法主上人の大導師をたまわり開眼法要が営まれ、これ以上の喜びはない。
 生命は永遠である。人間として生まれてくることは難事なのである。ゆえに、けっしてこの一生をおろそかにしてはならない。
 大御本尊は絶対であられる。ゆえに信心強盛に長く実践した人と、信心弱く一生を終わった人、また、この妙法に巡りあうことができずに一生を終わった人とは、その“生命”は、おのずと違ってくるといわざるをえない。信心の浅深のいかんによって、わが生命の深き傾向性が決まる。
 生々世々、妙法とともに人間として生まれてくるためには、どうしても御聖訓に照らし、この一生涯、仏道修行を貫くことが肝要である。
2  大聖人の仏法を信じ、広布への満足しきれる信行を実践した人は、永遠の生命のリズムと、自身のリズムとを合致させていくことができるが、信心弱き人、また信なき人等は、自己のリズムが宇宙の大リズムと相合わざる運命の道に入っていかざるをえないだろう。
 イギスのトインビー博士と対談したときのことである。博士は「世の指導者をはじめ多くの人々は、この運命的生命の死という厳粛なる事実を避けている。この死との直面を解決せずして、何の“平和”があるか。“幸福”があるか」と力説しておられた。私も同感である。
 一心、一念は、まことに不可思議なものである。瞬間、瞬間、変化する空気のようなものでもあり、雲のようなものであるかもしれない。
 よく見かける現象だが、山脈を境として、彼方には雲がたれ下がっているのに、こちらは晴天の場合がある。その山脈と同じように、私どもの信心を強め、深めていく一つの手段として、人々を魔風から守るために組織が必要なのである。
 私どもの厳粛なる信仰を、生涯にわたり持続するためには、団結を必要とする。
 団結がなければ、次から次へと襲いくる魔風に抗しきれず、信仰を破壊されやすいからである。私どもは正法を惜しむがゆえに、どこまでも異体同心で前進していくことを忘れてはならない。
 最後に、皆さまはご長寿であり、健康であっていただきたい。それが私の願いである。正法を惜しむがゆえに、わが身を大切にしていただきたいのだ。

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