Nichiren・Ikeda
Search & Study
札幌代表幹部懇談会
十界の社会に広布の道学べ
1982.6.24 「広布と人生を語る」第3巻
前後
1 当初、函館訪問のみで帰京する予定であったが、札幌の同志の方々から、四年ぶりなので、どうしても来訪を、ということでおじゃまさせていただいた。皆さま方の、ますますのご健勝のお姿を拝見してほんとうにうれしい。
人生、一寸先は闇である。その解決は、大聖人の仏法しかできえない。いわゆる妙法は不可思議な法なのである。信心は宿命を打開して、永遠に、身も心も軽くしてくれる。信心なき苦労は、永遠に重い生命の傾向性をつくってしまうのである。
一生、信心を貫きとおした人と、信心なき人と、中傷、非難した人と、それぞれの人生がどう違うかを御聖訓に照らしながら確信を深めつつ前進していくことが、また弘法を推進していく要件となっていくことを忘れないでほしい。
2 主体である正報のわが身も十界三千の当体であり、客体である依報の社会も十界三千の当体である。長い広布の途上において、何の苦難もなければ、木石に等しい。地獄界から仏界にいたるまでの十界の現状を認識し、体験していくなかに、それぞれが賢明になり、社会を知って、広宣流布への一つひとつの開拓がなされていくのである。
社会における人間の醜さ、陰謀、おどし、ねたみ、また法律問題、裁判等々、あらゆることを経験し、賢くなりながら、万年への広宣流布の継承をしていくことがわが創価学会の役割と申し上げておきたい。
この数年、学会のことを取り上げてきたマスコミ・パワーのおかげで、一人ひとりの力が、そして信心がさらに強まり、充実してきたことはまちがいない。事実、私どもが指導しても、とうていこれほど信心を強める指導はできなかっただろう。
それをわざわざ、広宣流布への上げ潮と広宣流布への固い信心を築いてくれたわけである。
3 大聖人の仏法は厳しく「文証、理証より現証にしかず」である。これを大確信し、大信力、大行力をもって、いっさいの事象を変毒為薬していくのが信心であることを、けっして忘れてはならない。
北海道の広布の天地があるかぎり、皆さまの子孫末代まで、崩れざる信心の人脈の根をはりめぐらしていただきたい。