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四月度本部幹部会 広布の使命、誓い新たに

1982.4.15 「広布と人生を語る」第3巻

前後
1  私は、幹部会などは次代のリーダーにいっさい任せていきたいと思ってきた。広布への操縦桿を一人だけが知り、握っていては、将来が心配であったからだ。そこで北條前会長へ、また秋谷会長へと、その操縦桿を握ってもらってきたし、握ってもらっている。多くの人々が誤りなく操縦桿を握れるように鍛練していくことが、まことに重要であることを、私は知悉しているつもりである。
 どうか皆さん方は、代々の会長を支えて、辻県長を中心に大兵庫建設のための前進をお願いしたい。人材多き兵庫にあって、幹部の結束を心よりお願いしたい。
2  五月三日と聞くと、第二代戸田城聖先生の会長就任式を思い出す。また昭和三十五年の、私の会長就任式を思い出さずにはいられない。
 その就任式にお出ましくださった当時の御法主日達上人猊下が、開目抄の一節「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」との御聖訓をあなたに贈るものであると述べられた。このお言葉は、私の生涯にわたる妙法広布への大信念となっている。
 私は総本山を厳護したてまつる責任を痛感している。また、広宣流布を進めていく学会を厳然と見守っていく責任もある。とともに、皆さま方を守り支えていく決心も変わっていない。安心して信行に勇気をもって邁進していただきたい。
3  御書に次のような意味の御言葉がある。「御本尊からはなれることは最初はたいしたことではなく、父母を殺すような重大事件とは思われないが、未来多数劫にわたる地獄の因となる」と。
 仏法の因果は厳しいものだ。また、正しき信心の人を諸天はかならず守護することを確信されたい。
 戸田先生の御書をとおした指導として
 1)難を乗り越える信心 
 2)各人が幸福をつかむ信心
 3)一家和楽の信心、との三つの指針がある。
 大なり小なり、だれ人にも、社会にあって難はあるものだ。世法とは違い、妙法につらなった難は、宿命転換、功徳の曠野を無限に広げてゆくものであることを確信し、勇気ある信心で進んでいただきたい。
 御書を拝読しても、「開目抄」をはじめ多くの御書に、魔と戦い、難を乗り越 えよとの御金言がある。私ども信者は、御書に仰せのとおりに、すべての難を乗り越えて、はじめて正信といえることを忘れてはいけない。御書のとおりにならなければ、また信仰とはいえないのである。
4  出生も自分一人、死ぬのも自分一人である。ゆえに、自分自身が御本尊を信ずることによって、仏界を涌現し、わが肉体の“生命の宮殿”を開いていくことが、信心の真髄の一つといってよい。
 すなわち、自分自身が獅子のごとき力をもち、ありとあらゆる社会のなかにあって、堂々と生きぬいていける自分をつくることだ。これこそ妙法広布に生きゆく信仰者のみが味わえる幸福境涯といってよい。
 もし、この信心なくして、いかにきらびやかな論理を展開したとしても、現実の自分自身の幸福につながっていくとはかぎらない。複雑な時代のなかにあって、ノイローゼになってしまう場合があるものだ。
5  信心は、一家和楽の人生への原動力である。また、そうでなければならない。家族全員が信心できることは喜ばしいことである。しかし、いまだ全員が信心していない家庭もあると思う。ともあれ、長い目でみて、信心のことで家庭内でいさかいの波を起こさないようお願いしたい。
 大御本尊は絶対の法である。かならず、福運に満ちた和楽の家庭になっていくことはまちがいないのである。
 それぞれの家庭内で、まず信心ある人が、おおらかに伸びのびと信心に励んでいただきたい。そして“わが家こそ最高の幸せの家庭”といえる一家を築いていただきたいのである。.
 皆さま方のご多幸を心より念願してあいさつとしたい。

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