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「3・16」記念青年部最高幹部懇談会 ”将の将”として君達よ育て

1982.3.15 「広布と人生を語る」第3巻

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1  昭和三十三年三月十六日、総本山に集った男女青年部の方々のご多幸を感謝の心をこめてご祈念させていただいた。また、きょう集った青年部の代表の方々の、成長と未来への活躍も、ともにご祈念させていただいた。
 日達上人も仰せになったことがある。また、戸田先生もおっしゃったことがあるが、大聖人の仏法には、いわゆる他の宗教にみられるような戒律はない。ゆえに、みずからがみずからを律しゆく以外に、深き信仰はできないのだ。そこに、先輩の指導が必要となり、組織が必要とならざるをえないことを、忘れてはならない。
 この大聖人の仏法を弘めていくのは、私どもしかない。総本山を外護したてまつるものも、私ども創価学会に、その責任がある。
 広宣流布といっても、だれかがやってくれるのではない。われわれがなしゆく以外にない。ゆえに、仏意であり仏勅であるとの確信をもちたいものだ。
2  社会には、さまざまな職業、組織がある。しかし、その多くは生活のための職場といってよい。われわれの広宣流布という使命は、全使命をかけるものであり、生涯にわたるものである。そこに世法と仏法との次元の違いがあることを自覚しなければならない。
 ゆえに心して諸君はこの一点を忘れることなく、世法に流されることなく、仏法のうえに立って、指導者としてのみずからの人生を深めていかなければならない。
 私も一歩退いた立場にあるが、広宣流布を思うとき、また二十一世紀への後継の流れをつくり、見守るために戦わざるをえないと思っている。ともかく学会を生涯、死守したい。これしか広宣流布の道はないことを知っているからである。
3  けさ、関西の青年平和文化祭のリハーサルから帰ってきた一最高幹部から聞いた話である。「演技も運営も、すべてが見事であった。当日と前夜祭とをふくめれば、十数万人にのぼる大文化祭である。それよりも、自分が強く感動したことは、関西の青年部は盤石であり、関西の二十一世紀への人材の流れは、まちがいないということである」と報告してくれた。
 私はうれしかった。また、安心した。一つひとつ、このようにして確立しいきたいとの決心する昨今である。
 秋谷会長のもとに、青年部の機構としては、野崎総合青年部長、宮川青年部長(当時)、太田、町田両部長(当時)等の体制は、理想的なものにできあがってきたと、ひそかに喜んでいる。ここにもはや、盤石なる学会の未来図ができあがったと確信しているのだ。
4  戸田先生亡きあと、壮年の代表であった当時の小泉理事長と、青年部の代表である私は、よく語りあった。
 「このまま青年部が成長して、すべてが学会のリーダーになっていけば、しぜんにして無理なく、理想的な学会をつくりあげることができる」と。そして、ともどもに信頼しあい、未来を考えながら、成し遂げてきたのが、今日の学会の大発展の姿である。
 これからの学会も、またそのような流れになっていくことを、私は期待し、見守っていくつもりである。
5  よく戸田先生は指導された。「卒に将たるは易く、将に将たるは難い」と。
 諸君は広宣流布の若き“将の将”としての存在なのだ。
 その要件は、第一に、確固たる屹立した人間でなくてはならない。軽薄な批判に流され動揺していては、その人には多くの人々はつかなくなる。
 第二に、大御本尊と自分、広布のための本部と自分、指導を求めんとする自分という、いわゆる縦線を堅持していかなければ、後輩は安心できない。気のあった友人だけとつながり、気ままな行動ができうる自分という横線を主にして、縦線を従にしてはならない。それでは、広布の前進はなく空転してしまうからだ。
 第三に、みずからが決めたこの道、すなわち広宣流布への信心を絶対に裏切ってはならない。すなわち、初心を生涯にわたって貫徹していく姿勢が重要なのである。そこに、勝っても負けても、人々は信頼をよせ、歴史となっていくものである。
 なお、包容力、バイタリティー、雄弁等々、他にもいくつかの要件があることはとうぜんであるが、私は、その原理、原則のみを申し上げたいのである。
 この数年来、いわれなき弾圧がつづいたが、昨年も本年も、学会は未聞の発展をしてきた。これだけの迫害をうければ、どこの教団も、どこの団体も、潰滅に瀕しているにちがいない。しかし、広布の大河の流れは、何ものもさえぎることができないという証明が、ここに明確になったことを確信していただきたい。
6  これまでは、驚異的な発展をしてきたために、さまざまな批判をうけてきた。しかし、少しも揺るぎない前進をしてきたその陰には、昭和二十年代、三十年代の苦難のなかに戦いぬかれた、多くの強信の方々や、また青年部がいたのである。その先輩たちのことを忘れてはならない。いま、諸君も未来のために、同じような存在になっていただきたい。
 そして、無名の立場で今日を築いてくださった方々に対して感謝をしなければならない。あくまでも、その人たちは、総本山外護の精神と、広宣流布への精神を、胸深くもっておられた尊き方々である。
 それに対し、善意の学会の庭のなかで、遊びながら幹部となり、いままた宗門、学会を破壊せんとする連中は、結局は仏法を知らないのである。信心を知らないのである。御宗門の伝統法義も、学会精神の伝統も本質もまったく知らず、利口げにいい気になって、黒い野望をもったあわれな人たちである。
 そんな人間たちを、われわれは少しも恐れてはならない。法のため、人のため、平和のためにひたすら前進していけばよいのである。諸君は信心の敗残者にだけは絶対になってはいけない。
7  荒廃した社会の流れに流されていくのが社会性ではない。われわれは、信心の一点をふまえて学会らしいいき方をしてきたからこそ、今日の驚異ともいうべき発展がなされてきたことを見失ってはならない。ここに確固たる仏法のいき方があるのだ。社会への迎合だけでは、いちじはよいように感ずるが、主体性がないゆえに永遠性がないのである。
 私は、朝な夕な戸田先生のおそばでお仕えした。ただ思うことは、総本山外護と、広宣流布のためには、絶対に学会が発展しなければならないと信じていた。この一点に立って、十年先、二十年先、五十年先のために、戸田先生の指導を毛筋ほどもたがえぬように、第三代として今日の基盤をつくったのである。ひとつも後悔はない。あとはそれを諸君に託すのみである。
8  私は、若き時より胸部疾患のため医師からは「二十六歳までしかもたない」といわれた身である。それが今日までもったことは、妙法の功徳以外の何ものでもないと思っている。
 私を攻撃する中傷、非難のおどしには、私は恐れない。黒い陰謀のすべてが明確になることを知っているからだ。諸君には苦労をかけている。しかし、私のいるあいだに、もっと苦労を味わわせておきたいのだ。それが未来のリーダーとしての財産になると思うからだ。
 当時の「3.16」の儀式のときは、現秋谷会長は男子部長であった。青年部長はいまは亡き牛田寛さん(大学講師)であった。私をはじめ、亡くなった北條前会長、森田現理事長、竜 年光さん(現都議会議員)等が、鉄の団結で、いかにして広布の道を開くか、いかにして学会を守り発展させていくかに、日夜、真剣に取り組んでいたものである。
 これからは秋谷会長を支えに支えて、二十一世紀の見事なるリーダーになっていただきたいことを念願してやまない。

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