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日蓮大聖人・池田大作

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土浦文化会館開館三周年記念勤行会 迫害の嵐は正法正義の証

1982.2.12 「広布と人生を語る」第3巻

前後
1  土浦、霞ケ浦というと予科練(航空隊)を思い起こす。時は移り変わり、軍国主義から平和な時代となった。「時」というものは色もかおりもなく、大きく移り変わっていくものだ。
 戦前、軍人は正義の存在であり、自由主義者や戦争反対者は極悪人とされた。時代が変わると正反対になっている。軍人はもはや正義ではなく、自由主義者らは正義の人と変わった。当時、牧口初代会長、戸田二代会長も同じく理不尽な権力によって投獄され、極悪人とされたのである。
 時の流れは、だれ人も押しとどめることはできない。時の流れは、善と悪とを明確にしてくれるものだ。時の流れはまたすべてを解決していくものだ。
2  過去の世界宗教史をみても、どの宗教も多くの悲惨な弾圧の歴史をもっている。
 法難、弾圧をうけなかった宗教はなかったといっても過言ではない。また、大きくなればなるほど、その風圧が強くなることも歴史が証明しているとおりである。まして正法をたもったわれわれは、難を恐れてはならない。すべてが広宣流布への一里塚であり、乗り越えなければならない過程であるからである。
 もったいなくも日蓮大聖人の御生涯が、すでに迫害と大難の連続であられた。そのなかで「一切衆生の異の苦を受くるはことごとく是れ日蓮一人の苦なるべし」との大慈大悲をもたれて、全衆生のために三大秘法総在の大御本尊をお遺しくださったのである。
 日蓮正宗創価学会はこの大聖人の御遺命のままに進んできたし、また、進んでいくのである。さまざまな迫害の嵐をうけながらも、皆さまご存じのとおり、広宣流布の発展は質量ともに最大のものとなった。
 これは、いかに大聖人の仏法が偉大であるかの証明であり、また、私どもの法戦が、大聖人の御遺命にかない、正法正義の大道を歩んでいるという明確なる証左であるといってよい。「大法」にかなっていなければ、これほどの発展もなく、大功徳の実感もないであろう。
3  人生いかなる道を歩むも自由である。しかし、大切なこの一生を平々凡凡と送ることは、人間としてあまりにもわびしい。最大限にわが生命を託する道、託する法をもって、自分のためにも、社会のためにも、人のためにも貢献できうる人生が尊いと思う。その大道は「これなり」と、絶対の確信をもって歩んでいるのが、私どもの広宣流布なのである。(拍手) 
 人生にとって何がもっとも大事か。それは生死の問題である。
 かつてトインビー博士は「社会の指導者たちは、その問題を真正面から解決しようとせず、すべて避けてとおっている。ゆえに社会と世界の未来の根本的解決法は見いだせない。私はこの道を高等宗教なかんずく大乗仏教に求めてきた」と語っていた。私は真に謙虚な尊い姿であると思った。
 いくら科学が発達し経済的に繁栄した時代となっても、この根本的問題である生死の問題の解決なくしては、永遠にわたっての人類世界の平和と幸せの道はないと確信したい。
4  大聖人の仏法は、一念三千の法門である。そこには五陰世間、衆生世間、国土世間がふくまれる。妙法を信受したてまつった、そのままの身が、生命が、その場で成仏する。そして他の衆生をも救っていける。その自身が居住する国土で、繁栄の実証を示していくのである。
 他の道、他の方法を才智をめぐらしながら考えるのではない。この厳しき現実生活のなかに仏法の正しさの証明と、仏法による人間苦の解決があることを忘れてはならない。
 死して多くの人から惜しまれる人であってほしい。そのために多くの人に妙法を教え、かつ多くの人につくしていただきたい。
 多くの人から、あの人によってこのように幸福になれた、あの人こそ人生の恩人であるといわれる信心の先輩に、そしてまた、つねに他の人たちの幸せを願う人生であっていただきたい。すなわち、つねに幸福を願う“結婚式”のごとき信心であり、人生であってほしいものだ。
5  最後に御書の一節を拝したい。
 「仏法はあながちに人の貴賤には依るべからず只経文を先きとすべし身の賤をもつて其の法を軽んずる事なかれ
 「此の魔王疫病の神の目にも見えずして人に付き候やうに古酒に人の酔い候如く国主父母妻子に付きて法華経の行者を嫉むべしと見えて候
 これからも、ねたみ多き人間社会にあって、これ以上うるわしくして生きがいのある集団はないという、土浦の郷土を築いていただきたい。

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