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茨城文化会館落成記念茨城県幹部会 生涯を信心で飾れ

1982.2.8 「広布と人生を語る」第3巻

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1  水戸といえば梅の花――六年ぶりにこの地を訪問し、皆さまがこの数年間、あらゆる苦難のなかに耐えて闘い、ここにすばらしき文化会館の完成をみて集うそのお姿は、寒中に雄々しく咲きゆく、香りも高き梅の花にも似てうれしく感じてならない。
 また、水戸といえば水戸黄門――私は昭和五十四年、会長を勇退し、広布の水戸黄門になるつもりであった。それは永年務めた重責の会長職から離れて、自由な立場で御宗門、そして大切な地涌の友の皆さま方を、全国を行脚しながら守りぬきたいとの一心であった。
 しかし、この世の使命は厳しく、北條前会長は亡くなり、日ましにさまざまな非難と迫害がかさなり、御宗門ももっとも重大な段階に入った。秋谷会長もまだ新しく、どうしても私が、すべてにわたって守り支えていかなければならない運命に再びなってしまった。(拍手)
 使命は役職のみで決まるわけではない。これからも御法主上人猊下を厳護申し上げ、皆さまを守るために、この身を捧げてご奉公をしなければならないと深く自覚している。(拍手)
2  まことに残念であるが、御法主上人猊下に背いた十一人の僧が擯斥となった。これをみて、私どもが信心のうえでもっとも心すべきことは、「未だ得ざるをれ得たりとおも」との慢心であり、増上慢である。傲慢、増上慢の人には、もは求道心がない。つまり「進まざるを退転」というように、信心がなくなっている証左なのである。
 これらの人々は、広布への責任をもたない。責任なきがゆえに進歩がない。進歩がないところに淀みやエゴのふんまんがでてくる。それが結局は、破壊作業につながっていくことが多いものだ。
3  心して増上慢におちいらず、かぎりなき信心向上への求道心をもたなければならない。
 若くして偉くなったことを、まるで自分の力のごとく錯覚したり、人々を睥睨したりすることは、仏法上もっとも恐れつつしまなければならないことである。すべて御法主上人猊下の御威徳に守られてのことである。また、学会の力用によるところでもある。それをはきちがえて、本末転倒の狂った人生を歩んではならない。それじたいもはや堕地獄であるからだ。
4  広宣流布はすべての人に使命がある。社会というものもあらゆる人があって社会が成り立つ。博士だからといっても下駄の鼻緒はすげられない。それは下駄屋さんのほうが名人である。
 と同じように、信心の世界では、いわゆる社会的エリートなど関係ない、信心が強いかどうかである。また、それぞれの人が“成仏への道”、“広布への道”を、どう歩み行じていくかが大事なのである。
5  私も青年部時代は、一部員から始めた。班長もやった。支部にあっては地区部長も、支部長代理も経た。また、教学部では、助師から一歩一歩昇格したのである。
 人材育成にあって、戸田先生は、とくに私には厳しかった。けっして、偉そうな振る舞いなどさせなかった。謙虚を教えてくださった。むしろ私の後輩を、わざととも思えるほど偉く用いられていた。それは、信心の深さを習得させようという深いお心からであったように思われる。
6  私も三十数年間、多くの人々をみてきた。要するに、信心、また人間としての勝利は、愚直のごとき求道の人、また、着実にして地道なる信心、生活を築き上げた人が、凱歌をあげているという事実である。
 策の人は長つづきしない。要領の人は、これまたかならず行き詰まっている。利害の人は、時に応じて縁に紛動され、信頼を失っていく。
 ともあれ、信心の世界だけは、いずれの会合にせよ、行動にせよ、最高の充実があり、けっしてむなしさが残らないものだ。
 きょう、ご参加の皆さまは、正法正義の道を、信心の道を、堂々と進まれてきた方々であり、自信満々と未来に向かっていただきたい。
 日蓮正宗から離れ、創価学会から離れて、中傷、批判する人は、皆さまもご存じのように、かならずといっていいほど、勤行をしていない。また性格が異常であったり、家庭が乱れている。人格的にも欠陥がある人が多い。
 ゆえに、それらの人が御宗門、学会をマスコミに売り、それらの人が論じたことに紛動されることは、まことに愚かであると申し上げておきたい。
7  ともあれ、人生の勝敗は、その人の姿に明確に映るものだ。皆さまは大切なこの一生を、信心で飾っていただきたい。われわれの行動は、すべて大聖人の仰せの行動であるからだ。私どもの我見や指示ではないのである。
 皆さまのお力によって、学会は、このように日本の大勢力となり、世界的になったという事実は、それだけ皆さま方の広布への力と福徳がましているとの証左なのである。
8  次に御書の一節を拝したい。
 「日は赫赫かくかくたり月は明明たり・法華経の文字はかくかく・めいめいたり・めいめい・かくかくたり、あきらかなる鏡にかををうかべ、める水に月のうかべるがごとし
 「一切は現証には如かず善無畏・一行が横難横死・弘法・慈覚が死去の有様・実に正法の行者是くの如くに有るべく候や
 たがいに大切な仏子である。使命のある人々である。風邪をひかぬように、また交通事故や火災には十分注意し、日々、無事安穏の人生であることを、強く祈ってやまない。また、会合においても、よく定員を守り、事故のないよう運営には注意してほしい。
 今後とも、私とともに前進していただきたいことをお願いする。(拍手) 

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