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日蓮大聖人・池田大作

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板橋広布二十五周年記念区総会 日々、良識と堅実の歩みを

1982.1.24 「広布と人生を語る」第3巻

前後
1  日蓮正宗における根本は、唯授一人の血脈である。その血脈相承の御法主上人に随順してゆくことこそ、僧俗の正しいあり方である。この一点を誤れば、すべてが狂ってくるのである。創価学会は、御歴代の御法主上人に随順してきたがゆえに、永遠に栄えていくことはまちがいないと確信する。
 会員を思い、大切にする人柄のよい人であっていただきたい。傲慢や権威の人は、自己中心であるがゆえに、かならず信心にも行き詰まるものだ。
2  信心即社会であるがゆえに、社会を大切にし、良識ゆたかな人であってほしい。
 日々の堅実な歩みのある人は、二十年、三十年と時を経るにしたがって信頼を得、力をつけ、勝利の実証を示している。反対に、非常識の人は、いかにいちじは信心があるようにみえても、結果は堕落である。信心には特別なことはないのである。
 自覚した一人が広布に向かって真剣になれば、すべてが変わっていくものである。この一点をおたがいに心していきたいものだ。ともかく“他人がどうの”というまえに、まず自分が、御本尊への強い祈りと責任をもって、真剣に活動することだ。
 御本尊を信受し、荘厳していくところに一家の繁栄はある。また、母親を大切にする一家は、明るいし、うるおいにみちて、栄えているように思う。この点は、とくに青年部に申し上げたい。
3  信心の土壌を豊かにすることだ。木々も沃野にあればこそ、爛漫と花を咲かせ、実をつける。と同様に、信心で高められた生命の沃野があってこそ、努力と研鑽と活躍が、すべて幸せの花を咲かせていく土壌となっていくことを忘れてはならない。
 “妙法”以上の大法はない。ゆえに、この社会にあって、この大法を信じ行じていくところに、まったく悔いなきたしかなる人生を、勝ちとることができることを知っていただきたい。
 ともあれ、その信心というものが、いかにすばらしいものであるかということを自分自身で発見し、体得し、そして、自立しながら、所願満足の人生を味わっていただきたいものだ。
4  最後に御書の一節を拝したい。
 「我が滅度の後・後の五百歳・二千二百余年すぎて此の経閻浮提えんぶだいに流布せん時、天魔の人の身に入りかはりて此の経を弘めさせじとて、たまたま信ずる者をば或はのり打ち所をうつし或はころしなんどすべし
 いかなる難があろうと恐れず、覚悟の信心であっていただきたい。
 皆さまのご多幸を、心から念願してやまない。

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