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日蓮大聖人・池田大作

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第一回秋田県青年部総会 広布の次代は青年に

1982.1.14 「広布と人生を語る」第3巻

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2  大聖人の仏法は、自分も幸福になれる。成仏できる。先祖にも追善供養できる。子孫にも福運をおくることができる。さらに人をも救える。社会にも貢献できる。
 充実した生きがいの人生も送ることができる。まったくむだがない。
 ゆえに、空間的には宇宙大に広がり、時間的には永遠の深さを湛える無上道の法門である。今世の瞬間的現象を追う政治次元、経済次元や、そして蘇生、創造、建設の源泉とならない他宗教とは、本質的にまったく違うといってよい。
3  著名人かならずしも幸福ではない。また人間は人間以上に偉くはなれない。要は、人間だけがもつ境涯がどうであるかである。その人間の奥底にある尊さをいかに見いだすかというところに、人間の偉大なる価値があるといってよい。
 現代は社会構造、経済構造が複雑で、身動きできない環境にあるかもしれない。しかし、青年の皆さん方は、信心で深くみずからを磨き、仏法で説く一念三千の原理、三変土田の原理を確信しながら、秋田の繁栄のための未来展望を見いだしていただきたい。
4  とくに、青年期は、人の職業をうらやましく思うものだ。都会にあこがれもしよう。しかし、真実の幸福というものは、自分自身のなかにあることを、仏法では教えている。
 現在の職業や職場が不満足ならば、ときに価値的に職場をかえることは自由であるが、結局は、それぞれの職場において腰をすえ、その職場で光り輝く存在になっていただきたい。そのなかで、信頼を勝ちとっていくところに、まことに地味ではあるが、広宣流布の一つの縮図があることを知らなければならない。
 これからの長い人生にあって、勤行がしたくなくなったり、会合に出たくないときもあるかもしれない。少々、休んでもいいから、(大笑い)御本尊と、広布への活動から離れてはならないと注意しておきたい。それは、自分自身が損をするからだ。これは、皆さん自身のために強く申し上げておきたい。
5  これだけ中傷、誹謗されながら、日本的、世界的に、多くの青年が大運動に挺身し、共鳴しているその根本をみるならば、大聖人の仏法がいかに偉大であり、深遠であるかの証左にはほかならない。ともかく、創価学会から離れてはならない。同志から離れてはならない。
 若いために、行き詰まりを感じることもあるだろうが、妙法の信心はすべてを打開し、けっして行き詰まることがない事の法門であることを確信していただきたい。
 私も、秋谷会長、青木副会長も、そして副会長、県長も、ほとんどが青年部の出身である。また、社会の多くの分野にも青年部が進出している。さらに、世界の広布の推進者も青年部の出身者が多い。
 しかし、私たちも五十代にはいった。諸君のように身も軽くなく、吸収力もない。「光陰矢の如し」のたとえもあり、また成住壊空の原理から、広布の次代は、すべて君たち青年部に託す以外にない。これから十年のあいだに、大きくその変化はあるにちがいない。
 ゆえに心して、勉強し、苦労し、みずからを鍛えあげていっていただきたいのだ。そして、広布を支える未来の大切な使命をもつ青年であるから、健康だけはつねに留意してほしい。
6  秋田の県民性は、まことに真面目である。発展途上県であるという人もいる。このなかから偉大な人が輩出していただきたい。愛する秋田を繁栄させていただきたい。山岡県青年部長、稲田県男子部長とともに歩んでいただきたい。しかし、二人とも東京出身である。早く、このなかから、リーダーが出てもらたいたい。
 ともあれ、これだけの青年が、秋田の地で活躍しているのであるから、なんでもできる。たがいに連携をとりあって、秋田の社会にすばらしい貢献をしていただきたい。
 秋田の青年部の諸君は、とくに教学を身につけてほしい。それぞれの社会にあって一流といわれる人は、かならずそれなりの、人の何倍もの苦労と研究をしている。いま、諸君も、庶民の哲学者として、この大仏法を深く行じ、学んでいくことが肝要であると思う。これが、最高の人間としての道であり、結局は、社会の勝利者になることができるからだ。このなかから、多くの教授や師範が出てほしいことを念願してやまない。
 最後に御書を拝したい。
 「修羅道とは止観の一に云く「若し其の心・念念に常に彼に勝らんことを欲し耐えざれば人を下し他を軽しめ己をたつとぶこととびの高く飛びて下視みおろすが如し而も外には仁・義・礼・智・信を掲げて下品の善心を起し阿修羅の道を行ずるなり」
 この御文を戒めとして、生涯、青年は最高善の広宣流布の道を歩んでいただきたい。

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