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日蓮大聖人・池田大作

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秋田文化会館落成記念秋田県幹部会 ”支部建設””座談会”を課題に

1982.91.12 「広布と人生を語る」第3巻

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1  私の心からの願いは、皆さまが、健康であっていただきたい、ご長寿であっていただきたい、安定した生活であっていただきたい、そして、すばらしき人生であっていただきたいことである。そのための信心であり、そのための信心即生活であることを銘記してほしいのだ。
 人生それぞれ、さまざまな思い出があるものだ。しかし、生命の奥深く、因果の理法で刻まれた、広宣流布への活動ほどすばらしきものはない。それは皆さまの実感しているとおりである。
 ふつうの思い出は年とともに薄らぐが、信心修行の思い出は、意識するにせよ、無意識のなかにせよ、永遠に無上道の思い出として残っていくものである。そえに、広宣流布へのすべての活動は、しょせんは自分自身のためであることを自覚されたい。
2  とくに、本年の課題は“支部建設”と“座談会”である。
 戸田第二代会長が学会を再建したときは十二支部であった。三十二年の去のときには、三十二支部であったと記憶する。当時の支部長、婦人部長の方々の誉れある広布の軌跡は、時とともに永遠に忘れることはできない。
 現在では、その数百倍にものぼる支部体制が全国に確立している。すべて、皆さまの信心のご努力のたまものであるといってよい。もし、この一支部で、五百人から千人の人々が集うようになったならば、どれほど、広布の基盤は完璧に確立されるかわからないと思う。
 支部長、婦人部長はたいへんであろうが、今世の輝かしき思い出ともするために、それぞれの目標に励んでいただきたい。
3  私も支部長代理をやった。座談会にも走りに走った。折伏にも励んだ。私の担当した蒲田支部も文京支部も、立派に構築したことは、多くの方々から感謝されている。その青春時代の思い出は、いまもって誉れ高き満足の思い出となっている。私は、いつ倒れても少しも悔いはないとの決意で、今日までの法戦を展開してきたつもりである。
 とくに、関西の地にあって、関西の友と手を握りながら、一か月間で、一万一千百十一世帯の折伏の金字塔を立てたことは、永遠の思い出となった。時代が違うとはいえ、当時、一晩で座談会場を九か所ぐらいまわり、走ったことも、なつかしい思い出である。どうか皆さまも、支部員を愛し、それぞれの立場で悔いのない旗頭としてのご活躍をお願いしたい。
 大聖人の仏法は、末法万年にわたる大仏法である。いま学会は、総本山を外護したてまつり、その基盤を営々として築いているのだ。ゆえに、ときに試行錯誤があることもやむをえないとご理解を願いたい。
 皆さまにご苦労をおかけしているが、どうかそれぞれの広布の城である支部を守り、建設していただきたいことを、心より念願してやまない。
4  私は、本年で入信三十五年を迎えた。戸田先生の門下として、広宣流布のために死力をつくしたつもりである。幾多の難にも遭遇した。しかし、大御本尊の御力は絶大であり、すべての願望をかなえてくださった。
 いままた、多くの難問がおそいかかっているが、これまた、大御本尊の御力によって、いっさいが明確となり、勝利への証明がつくことを大確信している。
5  日蓮大聖人を御本仏と仰ぎたてまつるのは、日蓮正宗創価学会の根本伝統である。深き因縁と深き使命があるのである。
 ゆえに私どもは、深き信心、深き喜びをもって、法のため、人のために、また自分自身のために広布に邁進したい。確信と自信と勇気をもって、ゆうゆうと地域のなかで、功徳を証明し、かつ人生を満喫していっていただきたい。
 最後に御書を拝したい。
6  「卞和べんかは足を切られ清丸は穢丸けがれまると云う名を給うて死罪に及ばんと欲す・時の人之を咲う、然りと雖も其の人未だ善き名を流さず汝等が邪難も亦爾る可し
 「経に云く「億億万劫より不可議に至る時に乃ち是の法華経を聞くことを得億億万劫より不可議に至る諸仏世尊時に是の経を説きたもう・是の故に行者仏滅後に於て是くの如きの経を聞いて疑惑を生ずること勿れ」等云云
 この御書に仰せのごとく、不動の信心で尊い人生を生きぬいていただきたい。

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