Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二回SGI総会前夜祭 広布万代の基礎築こう

1981.8.23 「広布と人生を語る」第2巻

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1  日蓮大聖人の仏法の実践の一つは、いかに境涯を開くかにあるといってよい。人間だれも悩みがある。悩みのない人間は絶対にいない。
 信心のない人の悩みは、その悩みが集積されて三悪道の生命と化していく傾向になる。信心のある人の悩みは、煩悩即菩提という法理のうえから、潔い信心・唱題によって、すべての悩みを、宿命転換、福徳、成仏への原動力にかえていけるのである。まして信心と広宣流布への行動のうえの悩みは、すべてわが身のすばらしき境涯を開ききっていける仏道修行ととらえていただきたい。
 私も十九才で入信して、あす二十四日で満三十四年。この間、一日も休む暇もなく、ひたすら広宣流布のために精進できたことを感謝したい。病弱であったわが身も、ますます健康体になり、人の何十倍もの行動をすることができた。これからも大御本尊より寿命をいただき、世界の広宣流布のために邁進したい。(大拍手)
  
 船には海が必要である。飛行機は大気がなければ飛べない。船も飛行機も、水や空気の抵抗があって進む。同じように日蓮大聖人の仏法の信心には、かならず迫害がつきまとうものだ。そのときこそ飛躍ができることを忘れてはならない。
 さまざまな難があっても動じない人が、まことの信仰者である。創価学会への批判があると、徃々にして”あの人が”という幹部が動揺する場合がある。それに反して、無名の、土俗的な、確固たる不動の信心を貫いている多くの同志がいることを、絶対に忘れてはならない。
 学歴は、信心とは関係がない。日蓮大聖人の仏法を信奉する信心を、あくまでも貫きとおした人こそ偉いのだ。つまり難があったときにこそ、その人の価値が決まるのである。
 私は日蓮大聖人の仏法の信仰者として、また一個の人間として、ありとあらゆる陰謀と迫害を乗り越えながら、これこそ真実の日蓮大聖人の信者である、学会の大精神を示していた、との証明を、後世百、二百年さきのために残したいと念願している。
2  かのレーニンは「一歩前進二歩後退」といった。これは戦略論としていったものだが、一歩前進して二歩後退では計算上、敗北となってしまう。(笑い)日蓮大聖人は、御子王のたとえを引かれて「前三後一」と説かれた。これをわれわれの運動の次元で拝すれば、三歩進んで一歩下がることであり、二歩残る。日蓮正宗創価学会は、三歩前進して、一歩後退したとしても、二歩はかならず残る。(笑い)かりに後退したようにみえても、信心だけは、勝っていけばよいのである。
 日蓮大聖人の仏法は、末法万年尽未来際への広宣流布の仏法である。いまは、その端緒についたばかりである。けっしてあせることははない。いまはさまざまな試行錯誤の時代であり、万年への基礎をつくっていることを自覚していただきたい。

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