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日蓮大聖人・池田大作

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イタリア信心懇談会 信心はまず二十年を目標に

1981.6.4 「広布と人生を語る」第2巻

前後
1  だれ人にとっても、地球上でもっとも大切なものは自分である。とともに、だれ人にも幸福になる権利がある。しかし、宿命や環境、制度等によって努力しても思うようにならないのが人生であるといってよい。また、その制度や環境を変革しようと努力しても、一人の力では不可能である場合が多い。
 末法の救世主日蓮大聖人は、その人が置かれたままの環境でそのまま幸せになれる方軌を示された。それが南無妙法蓮華経と唱えることである。ゆえに御本尊は、絶対に大切なのである。
2  制度や環境を変革しながら幸せを獲得するという側面も大切だが、すぐには実現できないのが現実である。それとは次元を異にして、この自身の生命のなかにある無上の宮殿を即座に開く唯一の方途が、御本尊に南無妙法蓮華経と唱えることなのである。環境の変革も必要だが、それ以上に、自分の内より最高の力をひきだし、幸せの境涯へと変革していくのが人間革命なのである。
3  人間は飽きやすいものだ。勉強も仕事も、生きていることじたいにさえ飽きてしまう場合もある。いわゆるスランプ状態におちいるのである。信心においても、同じようにスランプがあるかもしれない。しかし生きる力の根本の源泉である信心だけは、スランプに負けてはならない。努力して題目をあげ、努力して同志と交わっていくことが大切である。
 広宣流布の活動といっても、その努力はぜんぶ自分にかえってくる。したがって後になって”信心を貫いてよかった“と思うときがかならずくるから、退転だけは絶対にしてはならない。
 日本にも多くのメンバーがいる。そのなかには、貧しかったり病弱であったり、家庭不和の人も多々いた。しかし十年、二十年の信心の努力によって、そうした苦しい宿命を見事に転換し、幸せの実証を示しておられる。また社会的にも多くの名士が輩出した。
 どうか諸君もこの姿と同じく、二十年間を目標として前進、成長していっていただきたい。
4  青年時代は、ある意味では悩みとの戦いの時代である。どうせ悩むなら、信心をし、広宣流布のために、人にために悩むことは、青年時代の偉大な人生の歩みといってよい。
 しかし、信心の世界だけに閉ざされていてはならない。信心している同志の連帯はたしかに重要なことであるが、同時に多くの友人、多くの方々にしぜんの姿で接していく、心の広い青年であっていただきたい。
 両親や兄弟、親戚、友人等がかりに信心をしなくても、感情にはしってはならない。信心の世界は、かぎりなき慈愛の世界であるからだ。つねに信心の大きい心ですべてをつつみこんでいける、度量の人であっていただきたい。
5  少人数の会合であっても、その会合を大切にすべきだ。すべてが少人数から出発し少人数にまた帰着するのが、真の仏法対話の世界であるからだ。したがって、数にとらわれすぎてあせってはならない。諸君のいくところ、つねに清新の息吹に燃え、あるときは勤行から出発し、あるときは二人、三人で真剣に仏法を語る、うるわしく粘り強い流れをいくたびとなく繰り返し、繰り返し、時をつくり時を開く、
 絶え間なき持続をお願いしたいものである。
 広布の会合に出ることはまことに大切である。ともに出させるようにする努力も大切であるし、功徳も大きい。そのなかに、広宣流布という歩みがふくまれているからだ。しかし、硬直した形にとらわれることは注意しなければならない。イタリアはイタリアらしく、さまざまな試行錯誤を繰り返しながら、創意工夫をかさね、意義と価値のあるイタリアらしい会合のあり方を生み出していってほしい。
6  広宣流布の一つの姿は、第一に、大勢の市民が御本尊の功徳を体験し、そして人生と生活のうえに幸福を満喫しながら生きぬいていくことである。
 第二に、信心している家庭はさすがであるとの、生活のうえでの事実の姿を社会に証明し、根をはっていくことである。
 第三に、皆さまのなかから、数多くの社会のリーダーが育っていくことである。
 財界、学界をはじめ、社会のあらゆる分野で活躍し、仏法即正義の証明者となっていくことである。この妙法に照らされた無数の市民と、社会的地位にあるリーダーとが、たがいにその国のために融合呼吸しながら前進していくことである。
7  イタリアは若い青年と学生が多く、両親からも指導願いたいという要請があったので、男女の結婚観等について話を進めたい。
 いまだ皆さまは、経験も浅く、人間として未熟であり、未完成である。ゆえに、結婚については、両親や身近な先輩のアドバイスをうけることが大切である。そして周囲の大勢の方々から祝福されることが、将来幸せな家庭を築いていけるという一つの証となるといえる。
 夫婦ともなれば、一生涯、苦楽をともにするのだから、たがいの愛情はとうぜんのこととして、思想、哲学、なかんずく信仰という人生の基盤のうえに、一つの共通の目的をもって進んでいけるならば、何よりもすばらしい。
 人生の現実生活の途上には、さまざまな問題があるものだ。一生涯をともにしようという決意に立って、おたがいに愛情をもって理解し、努力していくことが大切である。
 恋愛をしている二人は、妙法に照らされ、生きいきとして、周囲にも好感をもたれるような姿であってほしい。信心も進まず、向上もなくなって、陰でこそこそするような恋愛であってはならない。
8  女性が男性をみる一つの視点としては、その男性が、社会で情熱をもってみずからの仕事、課題に挑戦していく力があるかないかである。また、経済力も無視することはできない。しかし、いわゆる姿や立場など表面的なことだけにとらわれることは危険な場合がある。
 御書に「女人となる事は物に随つて物を随える身なり」と仰せである。主人にしたがっていくと同時に、よき方向へ、幸せの方向へとしたがわせていく、明確なる方途をもっていなければならない。家庭の安定と社会への融合の主体性がなくてはならない。また主人が退転したからといって、それにしたがっていっしょに退転してしまうというのは、もっとも愚かな生き方である。
 また、夫婦間が不仲で、すぐに離婚する場合があると聞く。これは世界的な傾向でもあるようだ。しかし、どちらかが、しっかりしていて、深く発心して、その解決の方向へ歩みゆくならば、かならず解決していけると、私は確信したい。ともかく、確固たる信心に立つことがもっとも大切である。
9  男子青年にとくにいっておきたいことは、飲酒は自由であるが、家庭を破壊したり、飲んで会合等に行くことはつつしんでほしい。
 ともあれ、よき人生を生きぬくための信心であるがゆえに、よき家庭を築き、よき夫婦となり、人々から尊敬され信頼される事実の証明者としての先輩となっていただきたい。
10  青年も学生も、経済的にたいへんなことはよくわかる。われわれもそうであった。そこにこそ、懸命に信心に励み、勉強、仕事に励んでいく源泉があることを忘れてはならない。一つの明確な目標にはしりゆく青年の姿は、美しく尊いものだ。苦労を未来の人生の大基盤と思って、日々月々を送ってもらいたい。
 大邸宅に住んでいる人がかならずしも幸せとはいえない。また偉くもない。いわゆる表面的な幸福の姿は虚像であったり、それが崩れさった場合には、あまりにもみじめなものだ。崩れることのない真実の幸福とは何かを、諸君は、諸君の信心の体験をもってつかみきってもらいたいのである。
11  先日、フィレンツェの青年たちにも語ったことだが、一人の人間が見事に社会的にも一人前になるには二十年かかる。樹木が大樹になるのも同じである。仏法は道理である。したがって、まず二十年間を目標に持続の信心であっていただきたい。
 すべての信頼できる信心の先輩たちの姿は、二十年を経た人のなかに見えるものだ。
 末法の利益は冥益である。青年は顕益のみを追ってはならない。目さきの現象のみにとらわれた人生は、確固たる自分をいつか失ってしまうものだ。いかなることがあろうとも、信心は一生の持続、連続であることを深く胸に刻んでいただきたい。

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