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日蓮大聖人・池田大作

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熊本文化会館落成5周年記念自由勤行会 地涌の勇士として生きぬけ

1981.12.15 「広布と人生を語る」第2巻

前後
1  大分には、十三年ぶりに訪問し、皆さまが喜んでくださり、ほんとうにうれしかった。その大分の地で思い起こす歌の一つは「一献歌」である。この歌は、西南の役に大敗した西郷軍に合流するため、増田宋太郎以下中津隊のメンバーが決起するその前夜、酒宴のなかでつくった歌といわれる。その後、中津隊は、西郷とともに城山で全滅するという悲劇の道をたどっている。
 私は、お酒は飲めない。皆さま方も、あまり飲みすぎて胃潰瘍にならないよう、ご注意願いたい。
 私は、この一献という意義は、訣別の一献としたくない。あくまでも南無妙法蓮華経の大良薬を、君もあなたも、たがいに飲もうという意義にしたいものである。(拍手)
  
 この歌をみると、悲劇の人生と敗北という、悲惨な姿が痛感されてならない。広宣流布の戦いには悲惨があってはならない。喜びの人生であり生活でなくてはならないと思う。
  男の子じゃないか 胸を張れ
  萬策つきて 敗るとも 
  ……………
  いざ 吾が伴よ 先ず一献 
  よしなき愚痴を 言うなかれ
  なべては空し 人の世ぞ
  消えざるものは ただ誠
  ……………
 「男の子」とは、われわれは、たがいに地涌の勇士であるととらえたい。妙法の同志は、胸をはり、強く生きぬくことだ。弾圧と苦渋の民衆史を幸せと希望に転換していくところに日蓮大聖人の御精神があり、それはまた、われわれの運動の原点でもあるからだ。
2  いま、われわれがうけている難もすべて、末法の法華経の信心に励んだために起こった難である。広宣流布、折伏行に進まなかったならば、このような難はないかもしれない。しかし「開目抄」にお説きあそばされているように、難即成仏への道であると確信していただきたい。
 安穏な人生、かならずしも幸福とはいいきれない。また、安穏にみえても、人は何かにかならず悩みがあるものである。そのさまざまな悩みを、幸福への発条にし、偉大なる人生へと転化できるところに信心のすばらしさがあるのだ。万策つきて、生活や人生に敗れることがあったとしても、われわれには大聖人という、永遠に
 して成仏への根本の師匠がおられる。また、大御本尊があられる。信心さえ破らなければ、師弟不二の原理から最後はかならず勝つのである。
3  「よしなき愚痴を 言うなかれ」とは、信心は感傷的であってはならない。弱くてはなにもできない。わが人生を強く強く生きぬくことである。「消えざるものはただ誠」――。総本山外護の誠を貫きたい。これが信だからである。
 熊本といえば「田原坂」が有名である。このような悲惨な戦争は絶対にあってはならない。一人も犠牲者をつくりたくないというのが、私の信条である。また、人生にはいろいろな坂がある。その宿命的な坂を一つひとつ乗り越えていくのが人生であり信心である。われわれは小さな坂でへこたれては絶対にならない。
 「右手に血刀 左手に手綱 馬上ゆたかな 美少年」とあるが、われわれは、右手に慈悲、左手に哲学をもつ、後継たる凛々しき青年部に、次代のいっさいを託したい。
4  御書に「白馬は日蓮なり・白鳥は我らが一門なり。白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、此の声をきかせ給う梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきと・つよづよと・をぼしめすべし」(御書一〇六五=)と仰せである。
 昔、輪陀王という王がいた。この王は白馬のいななきを聞いて威光勢力をまし、またこの白馬は白鳥を見て鳴いたという。あるとき、白馬が急に姿を消したため、白馬のいななきが途絶え、王の力は急に衰えてしまった。白馬を鳴かせる為に、いっさいの外道が集い祈ったがまったく効果はなく、最後に馬鳴菩薩が現れ祈願したところ、白馬が現れ、再び世の中はたいへん繁栄した。
 大聖人の仏法にあてはめるならば、白馬は日蓮大聖人であられ、白馬は法を求める民衆である。白鳥を見ないと白馬は鳴かない。民衆がいるから、仏は出現されるのである。御本尊に唱えたてまつる題目の声が諸天の威光勢力をまし、われらを守護するのである。その絶対の確信をもって進んでいただきたい。
 最後に城南ならびに天草の同志の、いやましてのご精進と団結と、福運を心からお祈り申し上げ、あいさつとしたい。

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