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熊本文化会館落成5周年記念県幹部会 目的を指向しての前進を

1981.12.13 「広布と人生を語る」第2巻

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1  熊本県も、とくに水俣、八代、人吉、荒尾、阿蘇方面等々、よくこの一年を戦われた。深くごくろうさまと申し上げたい。
 大分の功労者宅に行ったときのことである。数十人の功労者の雑談のなかから、正月におこなわれる創価高校対大分の代表高校のサッカー戦の話題に花が咲いた。
 サッカーでも、相撲でも、野球でも、すべて技がその勝負のきめ手の大きな要素になることはいうまでもない。しかし、その技も、生かすか殺すかは、それぞれの奥深いところでの呼吸が合っているかどうかにかかっている。
 呼吸を合わせるということは、すべてに対しての最優先条件といっても過言ではない。学会の発展も、御本尊の法力・仏力によることはとうぜんの中のとうぜんながら、一同が御本尊に勤行・唱題し、そのうえに立って呼吸を合わせながら、それぞれの地域の広宣流布に向かって力を合わせたところに、未曾有の奇跡的な前進があったといってよい。
 これからも、柳田県本部長、平木県長を中心に、それぞれ協議をし、目的を忘れずに、呼吸を合わせて一つひとつの使命の達成に取り組んでいただきたい。
 その協議も、さまざまな人の意見があるにちがいない。また、さまざまな考えをもっていることも事実である。そこで、深く考えていただきたいことは、多数の仏子を、安全に、無事故で、着実に導き、その人たちの生活を考え、職場を考え、個性を考え、社会を考え、また全体観に立ち、すべてを把握しながらの運営であり、運動でなくてはならないということである。
 たとえば、熊本から東京へ行くのに、大勢の人が飛行機に乗る。操縦士たちは、まず、すべての人の無事と安全を願っての運航でなければならない。無理をしたり、冒険をしたりすれば、事故をおこす場合がある。そうであっては取り返しがつかない。使命、目的をはきちがえて、操縦士個人のわがままの行為をしてしまえば、たいへんなことになる。
 よく戸田先生は「信心のうえで呼吸が合わない人は、かならず落後していく」といっておられた。その意味から、いつも協議は、全体の人々の信心が向上し、無事故で楽しく、広宣流布への歩調を合わせ、楽しい生活と人生を歩めるように心して進めていただきたいことを願ってやまない。
 よく私の側近であったとか、私をよく知っているといって、すべて私を利用しながら自分のみせかけをつくり、人を騙す手段にしている人がいる。私の家に書生としていたとか、さまざまなことで利用され、たいへん迷惑をうけたことがあった。
 私はこれまで朝な夕な、どれほど多くの人と語り、おつきあいしてきたか数知れない。すべては平等に信心の指導にあたってきたつもりである。強いていえば、私の身近ですべてを託してきたのは、北絛前会長や秋谷現会長である。したがって側近であるとか、よく知っているというような言葉だけに騙されないでいただきたい。そういうことをいうことじたい、すでにおかしな魂胆があると見破っていただきたいのである。
 最後に御書の一節を拝したい。
 「人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ
 「甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちには・たうれぬ
 よきお正月をお迎えいただきたい。皆さまのご長寿とご多幸を祈ってやまない。

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