Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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熊本・城北圏自由勤行会 青年も壮年も年配者もこの信心を

1981.12.12 「広布と人生を語る」第2巻

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1  初めて白菊講堂を訪問し、お元気な城北圏の方々と勤行・唱題ができて、まことにうれしい。きょうは九州の中心地点という意義からも、秋谷会長も馳せ参じてくれた。
 一年の計は元旦にありといわれるように、晴ればれとしたすばらしい新年勤行会であることを祈ってやまない。原永次圏長、宮本和子圏婦人部長もよい方で、皆さん方は幸せである。
 日蓮正宗の僧俗であるならば、絶対に御法主上人猊下に随順すべきである。それに反して、随順せず、いな、弓をひく行為をする僧や俗は、もはや日蓮正宗とはいえない。私どもは無数の讒言や画策をうけながらも、一貫して総本山を外護したてまつり、御法主上人猊下に随順してまいった。これが真実の信心であるからだ。
 それを、増上慢と権威とエゴと野望のために踏みにじっていく僧俗は、まったく信心の二字のなき徒輩であり、もはやそれは、日蓮大聖人の「広宣流布をせよ」との御遺命に反した邪信の徒と断ずるほかないのである。皆さまは絶対に、それらを恐れたり、また、騙されたり攪乱されてはならない。
 日蓮大聖人の仏法は、青年にも、壮年にも、老人にも一貫してつうずる大仏法である。いうならば、青年のための信心である。壮年のための信心である。また、老人のための信心なのである。
 その理由は、たとえていえば、飛行機がこれから大空高く飛び立っていく。この姿は、青年が社会に雄飛する姿であるといってよい。これから長い人生の戦いに入るために、それなりの強いエンジンと、それなりのガソリンが必要なのである。
 空中高く飛びゆく飛行機には、かならず気流の変化がある。また、外は零下何十度、風も強い。社会もまた、同じであると思う。壮年が社会で活躍奮闘する姿もまた、同じである。そのときに、正確なる計器と強力なる飛行力がなければ、社会の荒波を乗り越えることはできないのだ。
 その飛行機も使命をはたし、やがて目的地の滑走路に着陸しなければならない。
 いうなれば老人のひとつの人生の仕上げの姿ともみたい。よく、着陸がもっともむずかしいといわれているが、大空を飛びまわったその飛行機は、やがてただ一本の滑走路に着実に降りていかなければならない。その重要な時期が老年期である。それは成仏への仕上げの信心が大切になってくると思うからだ。
 皆さまのご長寿とご多幸をひたすらお祈りしたい。八千世帯のこの圏がさらに勇敢な折伏で発展されることを祈ってやまない。
 会場入口の花も、窓際の花も、白菊の花もたいへんすばらしい。真心の労作業に賛嘆の拍手を送りたい。できるものならば、このままでお正月を迎えていただければすばらしいと思う。

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