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日蓮大聖人・池田大作

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大分平和会館落成3周年記念自由勤行会 和楽と福運と余裕の大分に

1981.12.11 「広布と人生を語る」第2巻

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1  皆さまが明るく元気いっぱいなので、私はうれしい。この数年間ほんとうにご苦労をかけ、申しわけないかぎりである。牧野光県長、上野静子県婦人部長、山本武県書記長のもと、すべての難を見事に乗り越えてこられ、ここに心から感謝したい。
 御書に「生の難は仏法の定例・聖賢の御繁盛の花なり死の後の恥辱は悪人・愚人・誹謗ひぼう正法の人招くわざわいなり」と説かれている。この御書を、凡夫であるわれわれは、おたがいによくよく拝読したい。
 また御書に「法華経を持つ者は必ず成仏し候、故に第六天の魔王と申す三界の主此の経を持つ人をば強に嫉み候なり」と仰せである。
 法華経とは、とうぜん日蓮大聖人の法華経、三大秘法の御本尊である。この妙法をたもつ人は”強に嫉まれる“と御金言に断じておられる。したがって、いま、まったくいわれなき、ねたみのかずかずの非難があるが、御聖訓に照らしてとうぜんのことであるし、なにも恐れることはないのである。
 大分は「和楽」をモットーにしてこられたが、その裏づけとして福運がなければ、真の和楽は確立できないと思う。
 また、県民性から余裕がないといわれてきたが、私は、この和楽の信心につづいて、「福運」と「余裕」ある人生もつけくわえたらどうかとご提案申し上げたい。
 (拍手) 
 長い人生と長い広布の旅路にあって、みずからがみずからの境涯を開きつつ、余裕をもつこと、またみずみずしさをたもつことが大切である。
 この大分からは、多数の歴史的人物が出た。大友宗麟、三浦梅園、広瀬淡窓、前野良沢、近年では、滝廉太郎、福沢諭吉などがいる。また、岡城跡をはじめ八つの城は、まことに歴史をはらんできた城である。私は”歴史ある大分に栄光あれ“”歴史ある大分に繁栄あれ“と祈らずにはおられない。(拍手) 
 ここで私が申し上げたいのは、一言にしていえば、大友宗麟は、外道とはいえ、キリスト信教者として、西洋文明の文物を残した。
 広瀬淡窓は私塾咸宣園を残し、多くの弟子を残した。
 滝廉太郎は名曲を残し、福沢諭吉は大学を残した。
 いま、私たち信仰者は何を残すべきか。それは、日蓮大聖人の大法である南無妙法蓮華経を、全生命に、深く、広く、残すことである。
 そして、円融円満にして、宇宙的普遍性をもち、無始無終にわたる永遠の「法」たる、この三大秘法の御本尊を、幾人の人に弘め、残しきったかということにつきるのである。
 この一点のみ、御本仏日蓮大聖人の御称賛をいただき、自己自身の永遠にわたる思いでと功績と、そして因果の理法により、生々世々にわたる栄誉を築き、残すことができるからである。
 有形のものは、やがて滅びる。この「無上道の法」を残しゆくことに、いっさいの基盤を置くところに、真の人生と、信仰者の真髄の価値観があることを忘れないでほしい。
 皆さま、功徳をうけておられますか。(全員、挙手)ほんとうにうれしい。さらに、功徳を深く、広く、うけゆく信心をお願いしたい。その根本の御指南は、すべて御書にしたためられている。
 私は非難の嵐をうけても、いささかもたじろがない。とうぜん覚悟していたことである。ただ、皆さまが大御本尊の功徳をあびながら、ご多幸の人生を歩んでくだされば、それが私の最大の喜びであるとともに、私の責任がはたせた一つの証左となるのである。
 来春の三万人の大文化祭の成功を祈りたい。そのときまで、いちだんと若々しく、一人として病気になられたり、事故にあわれたりしないよう願っている。愛する大分の愛唱歌を歌いながら、その日を晴れやかに迎えていただきたい。

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