Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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創立51周年記念奈良の集い 厳しい仏道修行で自己を磨け

1981.11.19 「広布と人生を語る」第2巻

前後
1  御書に「くろがねは炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし、我今度の御勘気は世間の失一分もなしひとえに先業の重罪を今生に消して後生の三悪を脱れんずるなるべし」、また「女人は・みめかたちよければ必ずねたまる・此の意なるべきか、日蓮は法華経の行者なる故に三種の強敵あつて種種の大難にあへり」の御聖訓がある。
 人生は一瞬の夢といってもよい。しかし生命(我)は永遠であり、心地観経に「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」と仰せのように、その一心、一念に因果を具備しているのである。宇宙の正しいリズムに合致する永遠の我(生命)を築くためには、三大秘法の大御本尊に南無妙法蓮華経と唱題していく以外に、絶対にないのである。
 ゆえに、この人生にあって自身を信心(仏道修行)で厳しく鍛えに鍛えて、人間として最大の深き境涯をつかみきっていただきたい。三世永遠のためへの不動の一心、一念への出発としゆく日蓮大聖人の仏法というものの骨髄を色読されることを祈ってやまない。
2  人間社会というものは、ときとして、美しきもの、正しきものまで、命濁のゆえか、それらを見て、ねたみ、狂うことがあるものだ。いわんや信心という清らかな世界に対しては、さらにそれが激しくなることは御聖訓に照らして明白である。しかし、私どもの今世の仏道修行の原理、原則は、三大秘法の大御本尊を信受し、そこからいっさいを展開していくという、御本尊と自分との関係がいちばん大事なのである。それを第二義にして、それらに紛動され、惑うことはもっとも愚かなことである。
 勇気ある不動の信心で、この一生をともどもに悔いなく飾り、題目を唱えに唱えて、生々世々への尊い思い出と歴史を、この生命に刻みに刻んでいただきたい。

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