Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第2回御書研鑽会 「開目抄」に死身弘法の実践を学ぶ

1981.3.10 「広布と人生を語る」第1巻

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1  「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし
2  「難」即「成仏への直道」を御教示 
 この御聖文は、日蓮大聖人の門下であるならば、終生、また永遠にわたって身読していかなければならない、まことに重要な一節である。
 日蓮大聖人の御一生そのものが、法華経の予言どおりの大難の連続であられた。
 その日蓮大聖人の御生命であり、久遠元初の法である南無妙法蓮華経を信受したてまつり、広宣流布に精進していく弟子、門下の仏道修行もまた、難多きことはとうぜんである。
 しかし、いかなる難ありといえども、絶対に大御本尊を疑ってはならないとの、深甚の御教示の御文なのである。
 いかなる中傷、非難、三障四魔がありとも、朝な夕な、声高らかに勤行・唱題を怠ることなければ、しぜんのうちに仏界という金剛不壊の天空のごとき、幸にして福の境界に、到達することは断じてまちがいないとの日蓮大聖人の固いお約束なのである。
 この根本的な深甚のお約束は、末法万年尽未来際にわたるものであり、同じく日本のみならず、全世界の人々に対するお約束なのである。
3  当時の日本において佐渡流罪は、生きて帰れる可能性はほとんどなく、死刑に等しい意味をもっていた。
 大聖人は、この流罪の地・佐渡にあってありとあらゆる苦難にあい、風雪絶えまなき極寒と、かつ飢餓のなかにあられても、令法久住、未来永遠にわたる人類救済への大慈大悲の熱き思いを胸中にたたえ、次々と重要な御述作を残された。その御書だけでも、現在に伝わるものは薬四十編を数える。
 その一つである顕仏未来記には「今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり」と仰せられているように、刻々、御生命の危険にさらされていたことがうかがえるのである。
 そうしたなかで日蓮大聖人は、この「開目抄」をはじめとする数多くの御抄を、御遺言にも似た思いでお遺しあそばされたにちがいない。そして全弟子、信徒に対しても、一閻浮提広宣流布への「身軽法重、死身弘法」の実践を強く強くうながされたのである。
4  とくに「開目抄」は、佐渡御到着直後の最中の御執筆であり、日蓮大聖人は、弟子、檀那等がかろうじて手に入れ、御供養たてまつった紙と筆を持たれて、おそらく凍てつく硯の水を息で溶かしながら、おしたためくださったのであろうと拝察する。
 その言々句々から、私ども後世の門下に、太陽の大仏法、久遠元初の大法である南無妙法蓮華経を、全世界に広宣流布せよ、との大聖人の御魂の叫びがほとばしり、私どもの生命を揺さぶらずにはおかないのである。
 本抄御述作の前年、すなわち文永八年(1271年)九月、日蓮大聖人は鎌倉における刑場であった“竜の口”において、斬首という最大の法難にあらわれた。
 これは、日蓮大聖人を憎み、讒言した極楽良観と、同じく日蓮大聖人を敵視し、この世から抹殺せんと狂奔した権力者・左衛門尉との共謀によるものであったと考えられている。
 良観は、表面は聖者を装い、当時の人々から生き仏のごとく尊敬されていたが、内実は名聞名利におぼれ、仏法に暗く、その仮面を大聖人にはがされるや、政治権力に訴えて大聖人を葬ろうとさえしたのであった。これはまさしく三類の強敵のなかでももっとも陰険にして強大な僭聖増上慢の姿であった。
5  折伏は末法における如説修行
 竜の口の法難を境に、弟子、門下への迫害はいちだんと激しさをました。この難に耐えきれず、退転していく者も多く出た。動揺する者も数多かった。
 「弟子等・檀那等の中に臆病のもの大体或はをち或は退転の心あり」、また「御勘気の時・千が九百九十九人は堕ちて候」とも大聖人は仰せである。
 そればかりでなく、日蓮大聖人がこの嵐のごとき法難にあわれているのをみて、門下のなかから信心を捨て、ひたすら自身を守らんがため、小ざかしげに大聖人を批判する者さえ、多く現れた。
 その批判の一つは「大聖人の折伏は、あまりに強引な布教方法である。そのゆえに難をうけるのだから、われわれはもっと柔和に弘教しよう」という、方法論についての批判であった。
 いま一つは、大聖人が法華経の行者と名乗りながら「現世安隠・後生善処」との経文とあまりにもかけはなれた受難の生涯を送られているのは、真実の法華経の行者ではないからではないかという疑問であった。
6  大聖人は、最初の批判を、佐渡御書のなかで、明確に破折しておられる。
 「日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人びゃくにん等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし、修羅が仏は十八界我は十九界と云ひ外道が云く仏は一究竟道我は九十五究竟道と云いしが如く日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは螢火ほたるびが日月をわらひ蟻塚ありづか華山かざんを下し井江が河海をあなづり烏鵲かささぎ鸞鳳らんほうをわらふなるべしわらふなるべし」と。
 これら信心なき愚痴の門下は、折伏こそ如説修行、すなわち仏の教えどおりの実践であることをわきまえず、自己の保身のために世法に迎合し、世法に流されたのである。そして、末法万年にわたる大法の修行である折伏行の大原則を見失い、永遠にわたる仏法の大師匠である日蓮大聖人を非難したのである。
7  現代においては、いかなる理由があれ、御本仏日蓮大聖人の「遺使還告」であられる血脈付法の御法主日顕上人猊下を非難することは、これらの徒と同じであるといわれなければならない。批判する者は、正法正義の日蓮正宗に対する異流であり、反逆者であるからである。
 ともあれ、御本仏日蓮大聖人の御境地からみれば、これらはみな、凡夫の小ざかしい浅薄な智恵にすぎず、大聖人はおしかりになるより、むしろ「不便とも申す計りなし」と、その臆病、小心、不明を哀れんでおられるのである。
8  無疑曰信の大信心 
 次に、なぜ日蓮大聖人に諸天善神の加護がないのか、現世が安隠でないのか、大聖人は法華経の行者ではないからではないか、等々の非難に対しては「開目抄」のなかであますところなく破折しておられる。
 この一節は、その結論といってよい。
 すなわち、この一説にいたるまで「開目抄」は、大聖人および門下がなぜ難にあわなければならないかを、経文に照らし、道理をつくして、諄々とお述べになっており、その結びとして「我並びに我が弟子」と、わが子に大慈悲の御声をもって呼びかけるように、この御文が始まるのである。
 ふつうの人間であるならば、当時、大聖人があわれていたような身命におよび迫害の真っただ中にあっては、わが身を守るだけで々としていたにちがいない。
9  しかるに、大聖人は、悠々とわが身に難を受けながら、しかも正法の信仰のゆえに迫害され、法難と戦っているわが弟子たちに対して、ともどもに断固、法難に挑戦し「一生成仏の仏道修行と広宣流布をめざしゆけ」と激励されたのである。
 この金言に、私は涙あふるる思いで、御本仏日蓮大聖人の無量にして無辺の大慈大悲を電流のごとく感ぜざるをえないのである。
 「諸難ありとも疑う心なくば」とは、いかなる中傷、非難にあい、逆境に置かれても「根本尊敬」「功徳聚」「輪円具足」の御当体であられる三大秘法総在の戒壇の大御本尊を絶対に疑ってはならない、捨ててはならない、との仰せである。「無疑曰信」の大信心に厳然と立つべきである。
 第二十六世日寛上人は、三重秘伝抄に「法華経を信ずる心強きを名づけて仏界と為す」と仰せである。この御本尊への強い祈りの信心を終生にわたって確立していくために、私どもは、日々月々年々に、行学の二道に勇敢に励んでいるのである。
 「自然に仏界にいたるべし」とは、御本仏の大慈悲は、われわれ凡夫を成仏させてくださるところにある。まことにありがたい大仏法である。この「自然に」の仰せに意をとどめていただきたい。
10  この御文の直前に、日蓮大聖人は、雙林最後の涅槃経から“貧女の話”を引かれ、その意義をわかりやすくお説きあそばされている。
 その大意は、住む家もなく、助けてくれる人もいない貧女が、病気や飢えに苦しみながら放浪し、ある宿で子供を出産し、その宿を出た。そして、激しい風雨に見舞われ、厳しい寒さや、蚊、虻、毒虫に悩まされながら他国へ向かった。
 その途中、子供を抱いて恒河を渡るが、流されておぼれそうになる。子供を放せば、わが身は助かるかもしれない。だが、母の慈愛はそれを許さない。ついに貧女はわが子とともに死してしまう。人生のありとあらゆる不幸に遭遇しながらも、死後において、彼女は、子供を愛しぬいた慈愛の功徳によって、梵天に生じたというのである。
 貧女が梵天を求めたのではない。貧女は、無償の愛情のゆえに、しぜんに梵天にいたることができたのである。
 と同じく、日蓮大聖人は、末法の衆生もまた、この大正法たる御本尊を惜しみ護持していくべきであると御教示あそばされているのである。
 この「不惜身命」ともいうべき、強くして導き信心に立って、はじめて真実の仏法の修行者であるといえるし、ともに、結果としてしぜんに成仏という最極の境界を得ることができるのである。
 もとより、仏の境界というものは「唯仏与仏」の境界であり、私ども凡夫の想像をはるかに絶するものである。日蓮大聖人は、無智蒙昧なわれわれ凡夫も、大聖人の御聖訓どおり、ひたすら如説修行の実践をしていくならば、しぜんのうちに仏界という人生最極の宮殿を開いていけると御断言あそばされたのである。
 これは、御本仏の、われわれ一切衆生に対する固きお約束といってもよい。だが、そのためには広布に向かっていく信心が大切なことは、おわかりのとおりである。
11  透徹した信・行・学を 
 しかし、なにゆえ凡夫は、この無量にして無辺の大功徳を得られる大御本尊の正境に縁しながら、疑いを生じてしまうのか。
 まだまだ信心も浅いのに、また自身の過去遠々劫の罪業も知らずに、安直に諸天の加護を期待する。そんな安易な信心では現世安隠を願っても即座にかなわず、「煩悩即菩提」の境地も即座に得られないところから、疑惑をいだいてしまうのである。
 汝自身を深く知ることが仏法であり、また、仏法を修学すれば、汝自身が深く見えてくるのである。
 「当分、跨節」の原理からいえば、「当分」の浅い現象の次元のみにとらわれ、「跨節」ともいうべきより深い生命の次元に立って、つねに信行の根を深くはっていくことに努力しない人生は、少々の困難や誘惑にすぐ紛動されてしまうのである。
 仏法は「法」が根本であり、その「法」とは南無妙法蓮華経である。その根源の法と、わが生命の内なる法との交流、融合から、深遠な生命の世界を見つめつつ、永遠にわたる幸福と安隠の土台を築いていくところに、妙法信仰の目的があるといってよい。
 ゆえに、本門戒壇の大御本尊を根本中の根本とし、日蓮大聖人の御聖訓を拝し、御法主上人猊下の御指南どおりに「信」と「行」と「学」に励んでいくならば、しぜんに、まことにしぜんに仏界への大道を歩んでいけるのである。
12  信心の世界は利害ではない。名声でもない。打算であってもならない。どこまでも妙法を受持し妙法を求めていくとともに、日蓮大聖人の御遺命である妙法の広宣流布に生ききっていくことである。そのために、社会にあっても、生活のうえにあっても、その仏法の実践者としての誇りと責任と実証を示していかなければならない。
 「天の加護なき事を疑はざれ現世の安隠ならざる事をなげかざれ」との仰せは、表面的な幸せにとらわれることを拝し、信仰者の根本姿勢を示された御文である。
 法華経薬草喩品に説く「現世安隠」の文上のみにとらわれ、不惜身命の求道をせずして功徳のみを浅薄に追った者は、日蓮大聖人の忍難弘法の崇高な御尊姿を拝することができずして、大聖人が末法の法華経の行者であられることを疑ったのである。
 彼らは、大聖人が法華経観持品の「我不愛身命」の大慈悲の御精神に立っておられることも、また、不軽品の「而強毒之」の大折伏行を、寸分たがわず法華経の経文のままに、身口意の三業で行じられていることも、知ることができなかった哀れな門下であったといってよい。
13  さきに、日蓮大聖人は同じく「開目抄」のなかで「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」と仰せられている。
 これは、大聖人御自身の広大無辺の御境界を、受難の覚悟に託して述べられた一節であると拝せられる。
 大聖人の御内証は「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ」うんぬんとの三大誓願のごとく、主旨親三徳具備の末法の御本仏であらせられるのである。
14  この尊き一生を諸願満足で
 なお、おそれおおいことではあるが、ここで一言会通をくわえるならば「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ」と仰せられ、「一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」と述べられているのは、御本仏が日本の国に御聖誕あそばされたという意義をこめられているのである。
 大聖人は、人法一箇の大御本尊を日本の国に御建立あそばされた。しかし、だからといって、日本の国が、また日本の人々がいっさいの中心になるという意味とは違うのである。南無妙法蓮華経という法は、あくまでも人類社会への普遍性の法であり、仏様の慈悲は平等であることを知っていただきたい。
 日蓮大聖人の著された有名な「立正安国論」の題号の「安国」について、日寛上人は、一従は、当時の時代と日本の国についての御述作であるが、再従その元意は、未来と全世界につうずるものであると仰せになっている。
15  ともかく人間は、じつに弱く臆病な一面をもっている。順風のときは信念強そうにみえても、逆風にあえばその信念を揺らいでしまう場合が多い。
 真の信心とは、生涯にわたってこの大法に南無し、誇りをもって殉じていくところにあるのではないだろうか。
 いずこの世界にあっても、いかなるところについても、苦難と逆境のなかに、それを乗り越え、貫きとおしていくところに、真実の仏道修行があると銘記されたい。
 「我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけん」とは、一応は七百年前の日蓮大聖人門下のあいだに見られた姿であるが、このことはいつの時代にもつうずる心すべき点である。
 また「三世各別あるべからず」との御文を次元をかえてお借りするならば、小才におぼれ、同志を裏切り、信心の大道を見失い、見せかけの正義を装った醜い徒輩も、私たちが広宣流布の大道を進んでいくなかで、眼前に見られるとおりである。
 しかし、それらはいちじは、みずからの陰謀が成功したかのようにみえても、御書に照らして、生命の因果の厳しさをやがて知るにちがいない。
 まことに「つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」と仰せのとおりの現実である。
 ただひたすら実直に信心を貫きとおしてこそ、功徳の根はいやまして大地に広くはられ、経済的にも、身体的にも、家庭的にも、社会的にも、所願満足の人生のうるわしき凱歌をあげうることは、まちがいないと確信するものである。これ「大法」のゆえであり、信心のゆえである。
 本年は、宗祖日蓮大聖人第七百御遠忌のまことに慶賀の年である。世界に活躍する私どもは、それぞれの国のよき市民となり、正宗のよき信徒となって、その国とわが身とわが生活の繁栄を願いながら、尊くも悔いなき人生を送ることを、おたがいに確認しあい、本日の研鑽とさせていただく。

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