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日蓮大聖人・池田大作

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第2回メキシコ信心懇談会 信心で人生の盤石な基礎を

1981.3.6 「広布と人生を語る」第1巻

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1  遠く(メキシコシチー)からわざわざ馳せ参じてくださり、このように信心懇談会を開けることはまことにうれしいことである。
 御書にも「心ざしあらん人人は寄合て御覧じ……」と仰せのごとく、つねに御本尊を根本に御書を拝しながら、それぞれ広布の使命を担った戦士として、信心を磨き、信心の激励をしあい、広宣流布を成し遂げていこうという、その求道の信心は美しき姿である。
2  皆さま方の信心強盛に成長していくお姿を、御法主日顕上人にも御報告申し上げたい。私ども日蓮正宗の信徒は、皆、大聖人の子供である。ゆえに皆、御本尊の御威光に照らされ、日顕上人の御慈悲に浴しながら、正法の兄弟として、つねに健康で、つねに精進し、つねに励ましあいながら、仲よく有意義な人生を送っていただきたい。
3  三大秘法の御本尊を受持しても、正しい信心で、深く南無していかなければ、功徳は湧現しない。御本尊を疑う心、御本尊を受持している人を誹謗する心、広宣流布を妨げようという心があっては、御本尊に正しく冥合、感応しないからである。
 御書には「信心の血脈無くんば法華経を持つとも無益なり」と厳しく仰せになっている。
4  大聖人に、永遠の生命を説かれている。一生成仏が肝要である理由は、現在の人生が終わったとしても、一念三千という甚深の仏法のうえから「我」という存在が、この宇宙に実在するからである。この「我」は、自分自身では見えないし、わからないが、事実は色心不二であり、三世常住なのである。
 ゆえに、私どものこの世における唱題の行力が、また今世において成仏のために精進したことが、そのまま、生々世々、生命のうえにあらわれていくといってよい。ここに、今世の信心の絶対の重要性と必要性があるのである。生々世々にわたっての成仏が約束されるその証拠に、今世のそのことを確信できるだけの実証がかならずあらわれるのである。
 「仏法は勝負なり」をよくよく肝に銘じて、たゆまざる不退の信心をおたがいに貫いていきたいものである。
5  「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」と御聖訓にある。
 多くの人は「蔵の財」のみを追求している。それは、いちじは成功したように見えるが、やがては崩壊していく場合が多い。なお、成功した人も、不健康に悩んだり、心のわびしさにとらわれている場合も多い。
 大聖人は、あくまで「心の財第一なり」と仰せである。すなわち、正しい信心で正しい人生観をもちながら、そのうえにいっさいを構築していくことが重要であるとの仰せなのである。どうか、皆さま方は「心の財第一なり」を根幹としながら、社会的にも見事なる物心正面にわたる財産を築いていっていただきたい。
6  動物は、いわゆる勉学ができない。人間のみが勉学できるのである。とくに青年は、未来のために勉学していかなければならない。勉学を怠って人生の敗北者となってはみじめである。
 いまのうちに、勉強して、教学を深め、題目を唱え、苦労をしながら、輝く人生の盤石な土台を築いてほしい。
 日本出身の人も、現地のメキシコの人も、信心の世界においては、あくまで御本尊を根本に平等でいかなくてはならない。
7  日本出身の人は、因縁深くして、仏法を早く理解していたとしても、広宣流布という目標に向かっては、ともどもに共同作業として進んでいかなければならない。むしろ謙虚に現地の方々を守り、活躍しやすいようにしていくべきである。
 また、日本人は日本人だけで集合していくという習性があるが、これは現地の人に誤解されるおそれがある。あくまでも、その国、その社会に骨を埋めていく覚悟で、現地の人々と苦楽をともにしていっていただきたい。
 なお、日本のメンバーと、海外のメンバーの文通など、信心の激励をしあうことは自由である。しかし、信心以外のことについての深入りは禁物である。安易な交流になったり信心利用になって、本来の目的を失い、横道にそれていく場合もあるので、これはおたがいに十分注意していただきたい。
8  先日も申し上げたが、メキシコでも、今秋、宗祖第七百御遠忌慶讃登山のため総本山へ参詣されるとうかがっているが、私たちは、心からお待ちしたい。世界の阿仏房の先駆として、後世にその範を示していただきたい。
 すべての行動が仏道修行と思えば、身も心も軽い。私も一日一日を永遠にわたる生命の旅路として、本門戒壇の大御本尊に照らされて、すべて仏道修行と思っているから、愚痴はない。弁解もない。すばらしき信心の徒として、この世を思いきり生きたと念じている。
 皆さまも、どうか、かぎられたこの一生を、よき日蓮正宗の信徒として、それぞれの自己の使命を自身で決めながら、精進の一生であっていただきたい。(メキシコ・チャパラ)

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