Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第1回メキシコ信心懇談会 旭日の信仰、旭日の人生

1981.3.4 「広布と人生を語る」第1巻

前後
1  皆さまの心あたたまる歓迎をうけて、グアダラハラを初訪問した。ごいっしょに勤行して、皆さまの信心がこれほどまでに進んでいることに敬意を表するとともに、大勢の方々の元気な姿を拝見してうれしく思う。
2  大聖人の仏法は、世界の平和のためにある。人類の幸福のためにある。また、一人ひとりの生命のなかに仏界を湧現させながら、幸福になりながら、その国の平和と発展のために寄与していく源泉の信心なのである。
 ゆえに、この仏法の信心には、国境はない。それぞれの家庭で、それぞれの職場で、それぞれの境遇で、題目根本に、宿命を打開しながら、その国のよき市民として、旭日の信心、旭日の人生を築いていっていただきたい。
3  いかなる国の人といえども、人間は、それぞれの宿命をもって生きている。人間というものはやっかいなもので、著名人であろうとなかろうと、いかなる人も、なんらかの苦しみ、悩みと戦っていかなければならないという宿命を背負っているものだ。
 夫婦の問題、生活の問題、子供の問題、対人関係の問題、病気の問題等々、数えあげればきりがない。自分はいま、物心ともに恵まれていて、また社会的にも幸であるといっても、それは一生涯からみれば、いちじの幸せであって、常住不変の幸せとはいえないものだ。
 人々を断じて、幸せにしていけるように、リードしていかなくてはいけない。だれもが幸せに暮らしたいと思っていても、どうしようもない宿命という業苦に自身はしばられているものだ。
 そのために日蓮大聖人は、この御本尊をお遺しくださり、正しい信心によっていっさいの宿命を打開するとともに、強き生命力で、福運あふれる満ち足りた人生を、一生涯にわたり歩みきっていける方途を御教示くださったのである。
 ゆえに、その御本尊の功力の裏づけである無量の大理論を学ばずしても、勤行・唱題の実践によって、現実の生活のうえ、自己の生命のうえに、厳然たる実証が体得できれば、すばらしいことではないか。(大拍手)しかし、これからは、大聖人の仏法を深く学んで、より以上、深い信心をしていただきたい。
4  結論していうならば、この大宇宙のいっさいの運行の源泉、法則こそが南無妙法蓮華経なのである。その南無妙法蓮華経を具現化なされたのが日蓮大聖人であり、その顕された御当体が根本尊敬の御本尊なのである。
 その南無妙法蓮華経という法則も、私たちの一個人の生命のなかに現存する。御本尊に南無してはじめて、その南無妙法蓮華経という仏界が胸中に湧現し、宇宙の法則と合致していくところ、生命力が増し、功徳があらわれ、宿命が展開され、現実の生活のうえに体験が明確になっていくのである。
 ゆえに、日寛上人は「暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来たらざるなく、理として顕れざるなきなり」とお述べになっているのである。
5  銀も磨かなければさびてしまう。この磨くことが、勤行・唱題にあたるのである。「受持即観心」が大聖人の仏法である。御本尊を受持して唱題に励み、磨きに磨いていくことによって、自己の生命活動が宇宙の法則に合致していくのである。
 宇宙の法則と自己の法則が合致していくことについて考えたい。
 三世諸仏総勘文教相廃立に、次のように仰せである。
 「弘決の六に云く「此の身の中に具さに天地に倣うことを知る頭のまどかなるは天にかたどり足の方なるは地にかたどると知り・身の内の空種うつろなるは即ち是れ虚空なり腹のあたたかなるは春夏にのっとり背の剛きは秋冬に法とり・四体は四時に法とり大節の十二は十二月に法とり小節の三百六十は三百六十日に法とり、鼻の息の出入は山沢渓谷の中の風に法とり口の息の出入は虚空の中の風に法とり眼は日月に法とり開閉は昼夜に法とり髪は星辰に法とり眉は北斗に法とり脈は江河に法とり骨は玉石に法とり皮肉は地土に法とり毛は叢林に法とり……」
 この御書は、南無妙法蓮華経を唱えていけば、宇宙のリズムに完全に合致していくという一つのわかりやすい教えである。
 ゆえに、ともかく観念や理論でなくして、自己自身が明快なる厳しき体得をしていくために、勇気ある唱題を実践してほしい。現実に深い信心の体得者になっていただきたい。すべては自分自身のためであり、自分自身の生活のためであるからだ。
6  この地にも、やがて皆さんのお力で、また私たちも応援しながら、いつの日か、メキシコの平和のために、広布のために、皆さま方のために、会館をつくれればと提案したい。(大拍手)
 皆さま方が、この秋、宗祖日蓮大聖人第七百御遠忌の総本山に、登山、参詣されるとうかがっている。心からお待ちしている。

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