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日蓮大聖人・池田大作

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第3回NSA信心懇談会 健全なる色心で健全なる生活を

1981.2.19 「広布と人生を語る」第1巻

前後
1  ただいま、御本尊に、皆さまとともに勤行し、健康、福運、そしてすべての願いが開花していくよう祈った。この御本尊に願いをこめて題目を唱えることは、一切の基本中の基本である。
 そのうえに立って、心すべきことは「一切法皆是仏法」ということである。また、仏法は道理である、と大聖人は仰せられている。
 そこで、御本尊にまず祈る。その真剣な祈りが、自身の現実の生活態度のうえにも現れていなければならない。すなわち、自身の生活を健全にしていくことである。
 いくら信心があるようにみえても、生活が乱れ、人生の姿勢が狂っているならば、正しい信心即生活とはならない。それでは、祈りはつうじなくなってしまうからである。
 いくら信心していても、会社に出勤しない、自分の商売に熱心でない、これでは、社会人としては認められない。また、題目さえ唱えていれば、それのみで学校の成績がよくなるとはいえない。真剣に勉強していくことが正しい信仰者の姿である。また、祈っているからといって、毎朝十時まで寝ていれば、世間の物笑いとなる。家事を立派にきりもりすることも、賢明な主婦としてのとうぜんの姿であり、道理であるといってよい。
 「一切世間の治生産業は皆実相と相違背いはいせず」と御聖訓にある。すなわち、社会の道理をわきまえることも妙法なのである。ゆえに、御本尊に祈念することが、生活と人生と、社会に貢献していくための源泉となっていかなければならないのである。
2  健全なる色心、健全なる人生、健全なる社会人としての行動の原動力こそ、真実の仏法であることを知らなければならない。いくら信行学を実践しているといっても、酒乱であったり、不養生であったりしては、健全な色心とはならない。1か月の生活設計を忘れて、賭け事に狂っては、信心即生活とはならない。生活の破壊をみずからがなしていながら、御本尊への祈りがかなうと思うこと自体、道理に反している。色心ともに健全な人にこそ信頼が集まるのだ。そのために身だしなみも大事である。また、教養も大切になってくることは論をまたない。
3  御書には「起は是れ法性の起・滅は是れ法性の滅」とある。この意味は、まことに深い妙法の力用を表しておられる。信心の実践的立場からいえば、元品の法性、すなわち根本的幸福への力用を起こすのも妙法であり、同時に元品の無明、すなわち根本的不幸を滅していくのも妙法の力ということである。
 この妙法への信心の力によって燃え上がる生命力で、幸福を打ち立て、みずからを苦しめる宿命を打開しながら、所願満足の、健全なる生活と人生を開いていく日々であっていただきたい。
4  人生は、高い山を登っていくようなものである。また広宣流布も、同じである。その山に向かうとき、健康でたくましき生命力の人は、左右を眺めながら、楽しみながら登っていける。病弱の人は苦しみながら登っていかなければならない。意気地のない人は、途中で挫折し、山を下りるかもしれない。
 一個の人の一生の歩みは、自身の宿命を背負いながら、また、その宿命と戦いながら、高い山へ登っていくようなものである。ゆえに、この社会という高い山を、ゆうゆうと楽しみてがら登っていけるようになるために、御本尊の絶大無二なる力を受持するのである。ここにわれわれの幸せがあることを知らなければならない。
 この世に生まれてきたのも自分一人であり、死んでいくのも自分一人である。これが永遠につづくのである。無限の力の大良薬となる題目を唱えながら、自分自身を強く強くしていかなければならない。
 大聖人は「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云」と仰せである。
 瞬間瞬間のこの人生を楽しみきっていく自分をつくるために信心せよ、と仰せなのである。嵐があれど、烈風が吹けど、口笛を吹きながら、堂々とわが信念の道を、ともどもに歩んでいきたいものだ。その原点である信心だけはいよいよ強盛に、日々勇気と誇りと希望をもって進んでいただきたい。
 (この時、小さな子が泣き始めた)たとえば、子供が泣いている。(笑い)境涯が低く、つねに神経がトゲトゲしい人は、ヒステリーのようになる。(笑い)しかしマイアミから見える大海原のような、ひろびろとした境涯の方には、この泣き声もウグイスの鳴き声に聞こえるかもしれない。(爆笑) 
 信心は、みずからの境涯を開いていける唯一の力である。境涯が低いとつまらぬ文句や、愚痴や批判が出る場合が多い。境涯を開けば、人生観、世界観も変わってくるのだ。
 たとえば、法華経は大海、爾前経は川である。この信心をたもつ人は、大海のごとき妙法に冥合していくゆえに境涯が大きくなり、すべてをつつんでいける。これは偉大なる幸せといってよい。信心の目的の一つは、ここにもある。
5  マイアミも世界一すばらしいところかもしれないが、世界はまだまだ広い。物心ともに裕福になって、世界中を旅していただきたい。
 最後に、仲よくしていただきたい。仲よきことは、何にもまして強く美しい。心から皆さまのご多幸を祈り、マイアミの発展を願って私の話とする。(マイアミ)

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