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日蓮大聖人・池田大作

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第二回NSA信心懇談会 仏法の世界は純粋に、実直に

1981.2.17 「広布と人生を語る」第1巻

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1  ただいま、ごいっしょに勤行した。いつも勤行のたびに感嘆することは、アメリカの皆さま方の勤行が非常に正確で、立派であることである。
 ピアニストはピアノを弾く練習をやらなくなったら、もはやピアニストとはいえない。野球の選手がバッティングをやめたり、トレーニングを怠ったら、野球の選手とはいえなくなる。
 次元は異なるが、われわれは一生成仏のために、根本である勤行を怠ったならば、もはや生命力もわかないし、地涌の菩薩の眷属としての証はなくなってしまうのである。
 信行学の原理からいっても、まず勤行が基本である。組織、あらゆる指導、激励も、すべてこの勤行に帰着し、また、勤行から出発することを忘れてはならない。
2  次に、組織の人間関係について、少々述べておきたい。
 大勢になると、どうしても人間関係が複雑になってくる。現実問題として、好きになれなかったり、反発を感じたりすることも起きてくるであろう。血を分けた家族でもトラブルがあるものだ。
 そこで、大切なことは、だれ人たりとも人格を尊重しあって、その人の自尊心を大切にしていくことである。たがいに尊敬し、助けあわなければいけない。いがみあったりしてはだれも得をしない。
 もちろん、妙法の信心というもっとも大事な次元においては、とうぜん、正信のためへの激励もあるし、広宣流布への指導もあるし、たがいに生活上の諸注意をしあっていくことは、正しいことである。まさに組織は、信心と幸福の安全地帯である、といってよい。
3  信心は、即生活である。信心のための信心であるならば、日本の箴言を借りれば、「論語読みの論語知らず」になってしまう。信心のカが生活の原動力となって、はじめて大聖人の仏法ということができる。仏法は体、生活は影と、大聖人が仰せられるゆえんはここにある。
 では「生活」の内容は、どういうものか。
 第一に、健康でなくてはならない。
 第二に、経済を確立することが大切である。
 第三に、各人の職場で立派な社会人としての信用も必要である。
 第四に、子供たちへの教育と愛情、家庭の安泰がそれである。
 これらのすべてが生活である。これを離れて、仏法はないのである。
 これら生活をよき方向へ、よき力をもって、よき結果を出すための、御本尊であり、信心であり、実践であることを理解していただきたい。現実の生活をまったく無視して、ただ折伏さえすればいいというのでは、信心即生活にはならないのである。
4  信心の世界は、純粋でなくてはならない。これからNSAも大きく発展していくことはまちがいないであろう。ゆえに、ここで、再び信心の純粋性を守るために、たがいに確認しておきたいことがある。
 金銭貸借は、信心の世界ではあってはならない。共同事業も原則的にはしてはならない。その理由は、金銭がともなうことによって、場合によっては信心を狂わせ、組織を利用し、最後は複雑な結果を生むことがあるからである。
 日本において、幹部の地位を利用し、創価学会のためとか、私のためとかいって、じつは自分自身のエゴのため、純粋な同志から金銭を集めた例があった。こうしたまことにずる賢く、法を利用し、組織を利用しながら自分の私腹を肥やそうというその所行は許されることではない。
 そこで、こういう問題があった場合、先輩に何も相談せずして、あとになって批判をするよりも、①絶対に金銭貸借の話には乗らない②厳しく拒否する③先輩にありのまま報告する、というようにしていただきたい。
 もし、いままでにそのようなことがあったならば、あくまでも個人対個人の責任で借用書を取り交わすなどし、明確にしていくべきである。また悪質な場合は、警察に訴えても結構である。そういう人間にかぎって奸智にたけて、自分の正当性を主張しながら、陰でさまざまな策謀をするので注意していただきたい。
5  幹部はけっして会員に対し、金銭上の迷惑をかけてはならない。自分の力で随力弘通していくことが日蓮大聖人の教えである。極限の苦境に遭遇したとしても、信心潔ければ、大御本尊の功力によって、かならずすべて解決していけることを、私は断言しておきたい。会員に気をつかわせたり、ごちそうになったりして、負担をかけてはならない。
 信心の世界では、金銭に関しては、すべて皆で納得のいく形で決めるべきである。余計な出費をかけることをしてはならないし、もし納得のいかないことがあれば、よく確かめ、けっして惑わされないでいただきたい。
 また幹部は、会員に対しては、あくまでも慈しみ、愛し、守り、希望をあたえ、自信をもたせていただきたい。それが幹部の幹部たるゆえんであるからだ。しかし組織がこれだけ大きくなると、幹部のなかには、すべての人が平等に御本尊の子供であるということを忘れ、メンバーを自分の配下のように考えてしまう場合がある。その考えはまちがいである。あくまでも根本の御本尊と、広布に活躍するメンバーに奉仕するのが幹部である。
6  これまでも、勤行を怠ったり、会員の方々に迷惑をかけた人のなかには、最後は行き詰まり、退転し、反逆し、和合僧の世界にいたたまれず去っていった人がいる。反対に、実直で、指導どおり信心即生活の実践をしていった人が、栄えある凱歌の人生を勝ちとっている。
 どうか色心ともに健康で、物心ともに豊かに、妙法の力、信心のカが、いかに偉大であるかということをしみじみと体得しながら、この人生を満喫しきっていただきたいことを願って、第二回の信心懇談会としたい。(マリブ・トレーニング・センター)

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