Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「SGIの日」記念勤行会 偉大な信心で満足の人生を

1981.1.26 「広布と人生を語る」第1巻

前後
1  桜の花は桜の花らしく、満開となって一生を終わっていく。蘭の花は蘭の花らしく、人々に美の価値をあたえながら一生を終わる。メロンもまたメロンらしく、大きく熟して一生を終わっていく。
 同じく、私は私らしく、皆さん方もお一人お一人が自分らしく、どこまでも悔いなく、満足の人生を飾っていっていただきたい。そのために、この信心があることを忘れてはならない。
 古今東西の聖人、賢人、先達といわれる人たちもまた、この人生において、いかにして自分らしさを最大限に発揮していけるか、いかにしたら満足の人生が送れるかに心をくだいてきたといってよい。そのための研究と努力をかさね、そのためにそれぞれ法を説いてきたのである。
2  そこで「シンク・ゴッド」(神を思え)という映画についてお話したい。じつは飛行機の中でこの映画を見た。(笑い)このアメリカ社会のなかにおいて、神というものを真剣に追求していく新しい運動を描いた内容であった。「シンク・ゴッド」――この「神を思え」について、少しお話をしたい。
 日蓮大聖人は御書のなかで「一切経の中に此の寿量品ましまさずは天に日月無く国に大王なく山海に玉なく人にたましゐ無からんがごとし、されば寿量品なくしては一切経いたづらごとなるべし」、「過去大通仏の法華経より乃至現在の華厳経乃至迹門十四品涅槃経等の一代五十余年の諸経・十方三世諸仏の微塵の経経は皆寿量の序分なり」と仰せになっている。
 すなわち「寿量品」こそ肝心中の肝心であり、この文底の「寿量品」から見た場合、いっさいの経、敷衍すればすべての哲学、思想というものは、全部「寿量品」の序分にすぎないのである。
 この地球上には、アメリカという国がある。アフリカにも諸国がある。また、中国がある。これらの国々を相対的にみた場合、慣習も違うし、制度も機構も根本的に違うようにみえるかもしれない。しかし、世界という大きな立場、地球的な次元からみれば、そこにいっさいがふくまれてしまう。
 同じように、世界には大小さまざまな宗教が存在する。それらの宗教を比較対照しながら論じるならば、その本尊も、教えも、根本的な相違があり、勝劣がある。
 しかし、さきほども述べたように「寿量品」を根本にした場合、すべての宗教も、思想も哲学もその序分であり「寿量品」を説明する範疇を出ない。「寿量品」とは、その当体は宇宙の極理たる南無妙法蓮華経であり、御本尊のことなのである。
 したがって、このアメリカで「神を思え」との映画がつくられたように、これまであらゆる国々で神を追求してきたが、その本体はいったい何であるのかとの明確な結論は出ていない。ある宗教では「偉大なるものを拝め」と説いている。その真に偉大なるものの本体こそ、三大秘法の南無妙法蓮華経であり、「御本尊」なのである。
3  「本尊」とは根本尊敬の当体である。日蓮大聖人は宇宙の根本法則を一幅の曼陀羅に御図顕なされた。そのお姿が「御本尊」である。
 この御本尊を「功徳聚」ともいう。御本仏の所具された無量の功徳力を湧現することのできる、まことにありがたい万法の当体なのである。
 この御本尊に祈り、わが身、わが生活に、その功徳を満喫していくために、信心がもっとも大事になってくるのである。
 自分らしく、自分のよさを最大限に発揮しながら、わが人生に悔いなしとの所願満足の人生を送っていただきたい。そのためにも唯一絶対の根本法則の御当体たる御本尊に帰依し、信心していくようにと、日蓮大聖人は仰せなのである。一生成仏はここにある。
 心の中の世界が憤忿とねたみと苦渋であってはならない。それでは損をする。ひろびろと朝日が昇りゆくような信心と人生と生活でありたいものだ。
4  妙法を知りえたわれわれは、すべてが自分自身のためになるという大前提に立って、このNSAを大切にしてもらいたい。私も法のため、人々のために世界を飛び歩きたいと思っている。皆さんは、それぞれの地域で、法のため、人のため、社会のために活躍していただければ幸いである。
 ハワイの日米親善友好大文化祭は、ハワイにとっても、アメリカにとっても、また日本にとっても、親善を深めるうえで最大のものであった。ロサンゼルスの市制二百年記念の日米親善大文化祭も、これまた歴史に残る壮挙であった。すべては皆さんのご尽力のたまものである。ここに心からの祝福と感謝を申し上げるものである。
 私の願いは、人口も国土も日本より大きいアメリカのNSAが、日本以上に発展してもらいたいということである。日本には日本の使命がある。アメリカにはアメリカの重大な使命がある。
 どうか、偉大なる信心で偉大なる人生を生きぬいていただきたい。どこまでも御本尊に祈り、創造的な、建設的な、充実した生涯であってもらいたい。私も、いよいよと広宣流布のために、人々のために、世界のためにがんばっていきたいと思う。(サンタモニカ・世界文化センター)

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