Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第1回NSA信心懇談会 潔い信心で常楽我浄の人生を

1981.1.21 「広布と人生を語る」第1巻

前後
1  ただいま、御法主日顕上人猊下よりたまわった「世界平和広宣流布大願成就」の御本尊に勤行・唱題できた。この御本尊の日付けに、まことに意義深き二月十六日という日蓮大聖人御聖誕の日をお選びくださったことに感銘している。また脇書におしたためくださった「世界平和広宣流布大願成就」を固く誓って、ご期待にそえるよう、私どもは妙法をもって世界平和への後継の決意をいちだんとみなぎらせていきたい。
 願わくは、この御本尊を二十一世紀までに、大きな会場で多くの人が拝せるように努力していただきたい。
2  スポーツ競技における真剣勝負は、人々の胸を打つものである。小学校の運動会でのあのかわいらしい競技にも、大人はかっさいを送るものだ。と同じく、真剣に御本尊に唱題を唱え、人が見ていようが見てまいが、ひたぶるに広布に生ききる人には、大聖人が、また三世十方の仏、菩薩、諸天善神がほめたたえ、お守りくださらないわけがない。因果の理法ここにあることを確信されたい。
3  人生というものは悩みとの戦いであるかもしれない。一日のあいだにも、うれしいとき、悩むときと、幾度となく変化があるものだ。人間はささいなことで多くの不幸を感じる。喜びもあるが、それもまた、悩みにおおいかくされてしまうことが多いものだ。その現実をいかに切り開きながら、多くの楽しみを享受していくかというところに、信心の必要性があるのである。
 同じ一月であっても、この地球上には、冬のところもあるし、夏のところもある。同じく、たとえ冬空におおわれているような苦境におちいったとしても、その胸中には、本来、花咲く春や夏が存在していることを忘れてはならない。
 いわんや、南無妙法蓮華経を唱える人生は、暗闇のような苦悩に入っても、つねに「蓮華の花」「蓮華の法」という無上の花が咲いているし、また咲き薫らせていくことができるということを忘れてはならない。信心によって、より広き満足の境涯を開き、信心によって天にも薫る蓮華の花を、いやまして大きく咲かせていくために、強盛な根をはった信心でありたいものである。
4  飛行機にもエンジンがある。自動車にもエンジンがある。そのエンジンの強弱によって、走る速度も違ってくる。と同じように、一個の人間の生命力のエンジンは信心にたとえられるであろう。その信心の強弱によって、その人の人生の深さ、広さというものも決定されていくにちがいない。すなわち、その人のもつ生命力を、またエンジンをいかに強力なものにしていくかによって、その人生のもつ価値も大きく変わっていくにちがいない。
 ある科学者は、人間は、自分の脳の三分の一も使いきらないで一生を終わると論じていたことがある。生命力もまた同じといってよい。一個の生命が保持している生命の力を、最大限に出せることは幸せなことである。
 生命力が強ければ、病弱な体も健康となる。医学も生かしきっていける。色心ともに健康で、悔いなき人生を送りきっている人は少ないといってよい。妙法という大法則の力を、この自身の生命に湧現させながら生きぬくところに、不幸という気流を避け、三悪道を避け、遭遇すべき突発的な嵐を避けていけるのであり、つねに御本尊に導かれながら、ちょうど完璧なレーダーに導かれるように、常楽我浄の見えざる軌道を歩んでいけるのである。そのためにも、御本尊への強くして潔い信心が大切になってくるのである。(サンタモニカ・世界文化センター)

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