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日蓮大聖人・池田大作

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ハワイでの第一回御書研鑽会 「開目抄」に御本仏の大慈悲を拝す

1981.1.19 「広布と人生を語る」第1巻

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1  「されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし
 通解すると、されば、日蓮の法華経に対する智解は、天台や伝教に比べて千万分の一にもおよぶことはないけれども、難を忍び、慈悲の勝れていることにおいては、像法の天台や伝教に対して、恐れをもいだくほど勝れているといえるのである――と。
2  このたび、NSA二十周年記念の諸行事にご招待をいただき、心からお礼申し上げる。とくに本年は、宗祖日蓮大聖人第七百御遠忌という慶事の年であり、まことに不思議にもこの時代に、広宣流布に活躍できる身の福運を、たがいにかみしめあいたいと思う。多くの海外の友も、総本山に参詣されることをうけたまわり、たいへんにうれしいかぎりである。
 きょうは、各地域のリーダーの方々と「開目抄」の一節を拝読し研鑽したい。先日の世界教学最高会議でも申し上げたとおり“行学の二道”を励むことが、私ども日蓮大聖人の門下としての正しい軌道であるからである。皆さまの教学へのいちだんの熱意と深化を願ってやまない。
3  「開目抄」は、日蓮大聖人が流罪の地・佐渡において文永九年(一二七二年)二月にしたためられ、日蓮大聖人を勇敢にお護り申し上げた四条金吾という信者を代表として、門下一同におあたえくださった御書である。
 本抄は、日蓮大聖人こそが、末法の御本仏すなわち「人本尊」であられるという御内証を、明確に宣言された重要な御書である。その翌年、文永十年(1273年)には、同じく佐渡の国において法本尊開顕の書、すなわち「観心本尊抄」を著されている。ここに、末法永遠にわたる人法一箇の大御本尊御建立への理論的基盤がととのったといえる。
 本抄の題号の「開目抄」とは、一切衆生の盲目を開く義である。すなわち、日蓮大聖人こそが末法下種の三徳を具備せられた御本仏であられ、末法の一切衆生、善人類を救済あそばされる仏であられるということを知らない迷妄を開かれるとの意である。三徳とは、仏が衆生を守り、導き、慈愛する、すぐれた絶対の威徳のことである。これを、主師親の三徳というのである。
4  御書を拝読する場合「一住、再住」という立て方がある。さらに「総、別」「文上、文底」「三重秘伝」「四重興廃」「五重相対」というたいへん深い次元のとらえ方がある。
 こうした規範、原理を基に、仏教のあらゆる訪問を理論的、系統的に明確に把握し、その高低、浅深を分析していけば、その最高峰は、南無妙法蓮華経の大御本尊という一大秘法になってくる。その一大秘法を開けば三大秘法となり、それをさらに開いていけば、八万法蔵の仏教全体へと広がっていくのである。
 南無妙法蓮華経は、いわば、全仏法の根本、そして成仏の根本の法であり、この妙法によってのみ、いっさいの仏は成仏したのである。したがって“妙法”はいっさいの法の親であり、妙法という親をないがしろにして、子供である個々の教えを信ずるのは、道理に反するのである。世界の宗教は、南無妙法蓮華経という親からみれば、みな子供の宗教である。
5  そこで「されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども」とあるが、これは一住の義においては、日蓮大聖人は、法華経の理論的な理解においては、天台、伝教にはおよばないとの仰せである。これは、謙虚という東洋の伝統的な礼儀の立場をおとりになられたと拝せる。東洋とくに中国や日本の伝統は、古来、先師や先輩に対して、謙譲の意を示し、自身を一歩下げて、先師、先輩を尊敬するという姿勢をとる。そこで大聖人は、この御書においても、その伝統、慣習をふまえられたといってよい。
 このように、欧米の物のとらえ方と東洋のそれとは相違があることを、御書を拝する場合には、つねにふくんでいただきたい。一住は、天台、伝教は、ともに法華経をもっとも正しくとらえた像法時代の正師である。しかし、時代が移り、末法に入って、日蓮大聖人の法華経の色読の深さ、広さ、偉大さ、厳格さは、天台、伝教にはるかにすぐれておられる。それは、末法万年尽未来際の全衆生を救済せんとする大慈大悲の如説修行、死身弘法の実践行動であられたからといってよい。
 およそ、実践のない仏法はありえないが、なかんずく大聖人の仏法は、どこまでも信心が根本であり、実践がなによりも大切なのである。大聖人の立場じたい、あくまでも実践を重んじられた“事の仏法”なのであり、したがって、日蓮大聖人の教えどおり実践しぬいていくことが、成仏への直道として求められるのである。
6  法華経は一切経の中の王
 次に、法華経について申し上げたい。
 インド応誕の釈尊は、五十年にわたって、八万法蔵といわれる膨大な説法をされた。その五十年の説法のなかで、釈尊自身が、先の四十余年の経経は「未顕真実」の権教であると明言されている。これらの爾前経においては、完璧な法理はまだ明かされてはいない。
 最後八年間に説かれた法華経こそ、釈尊出世の本懐であり「皆成仏道」の道を示された教えである。四十余年の爾前経は、いまだ生命、宇宙の真理を部分的に説かれたものにすぎない。法華経に入って、釈尊はこの真理の全体を明したがゆえに、この法華経によってこそ、一切衆生の成仏への道が開かれたのである。したがって、法華経は一切経、全宗教のなかの大王である。
 この法華経の仏教正統の直流は、インドの釈尊なきあとは、中国においては天台大師によって、日本では伝教大師によって宣揚され、末法に入っては、日蓮大聖人お一人に継承された。
7  中国では天台なきあと、日本でも伝教なきあとは、時代を経るにしたがって、論師、人師の我見による多くの宗派が簇生し、正統の仏教はしだいに見失われて混乱していった。そこに、世の乱れ、民衆の苦しみが招来された根源があると、経文の明鏡に照らして鋭く指摘されたのが日蓮大聖人であられた。
 「開目抄」「観心本尊抄」という法門上の二大柱石の書に並び、国主諫暁の書であり、仏法即社会と開く一大原理を示された「立正安国論」が重書とされるゆえんはここにある。大聖人の門下であるならば、全人類の救済をめざして真実唯一の法、すなわち三大秘法の南無妙法蓮華経を流布しながら、いま再び人間の奥深き世界に覚醒の光をあて、幸福と平和への暁鐘を打ち鳴らしていかなければならない。
 その根本道場が、一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊まします多宝富士大日蓮華山大石寺であり、その御座主が御法主日顕上人猊下であられる。この日蓮正宗の信徒として、御法主日顕上人猊下の御説法を拝しつつ、永遠にわたる人類平和のために、正法を基調として、個人の幸福と世界の平和を結ぶ文化、平和の基盤を営々と築いていくところに創価学会の使命がある。
8  その場合、妙法という尊極の法、信心という根本においては、もとより、どこまでも厳格でなければならない。ただし、この根本に背かないかぎり、具体的な行動の次元では、その国の伝統、文化、風俗習慣を重んじていくことが大切である。
 すなわち、妙法という根本、原点については、大聖人の厳然たる御教示があり、そこにどこまでも随順すべきである。具体的な行動面については、大聖人はその時代、社会に応じていくべきであるとされている。
 たとえば、それぞれの国の法律には、よき国民としてしたがうのがとうぜんの理である。また、個人の生活、職業等においては、あくまでも自由であることを論をまたない。しかし、人間として、また社会人として、人類普遍の倫理のうえから、自分を、また人を大切にしていくことも仏法の一分であることを忘れてはならない。
9  無量義経、法華経の文にも、また一切衆生の成仏を可能にしたという道理のうえからも、法華経が最高の経典であることが明白であり、法華経を根本とするところに、仏教の正統があることは明らかであった。にもかかわらず、このことは多くの人々にはかならずしも明瞭ではなく、中国でも、日本においても、法華経を他の経典よりも劣るとの価値評価をくだす宗派が多く出現し、誤れる教義を人々に教えてきた。
 ゆえに、天台大師も、伝教大師も「法華最大一」を明確にし宣揚するためには、これらの誤った教義を論破しなければならなず、そのゆえに、多くの人々から嫉まれ、悪口罵詈されるという難をうけたのである。しかも、こうしていったんは確立された正義も、天台、伝教なきあとは、はかなく見失われてしまい、邪義の跳梁するところとなった。
10  末法御出現の日蓮大聖人は、このように邪法に毒された末法の世に、唯一の救済の法たる三大秘法の南無妙法蓮華経を確立するために、天台、伝教とは比すべくもない大難をうけられた。そのうけられた難は無数といっても過言ではないが、「大事の難・四度」とみずから仰せのように、松葉ヶ谷の草庵の襲撃(文応元年、1260年)、伊豆流罪(弘長元年、1261年)、小松原の法難(文永元年、1264年)、竜の口の法難と佐渡流罪(文永八年、1271年)が諸難のなかでも最大の法難であった。
 御文に「難を忍び」とあるが、これはたんに難を受動的に耐えるということだけというのではない。あくまでも、御生涯にわたって無数の大難ありとも、邪義を破し、正法を確立され、全人類のために、妙法という永遠不滅の大法をお遺しくださったところに、大聖人の尊貴なるゆえんがあり、そのゆえにこそ、私どもは無量の報恩を忘れてはならないのである。
11  御書には「始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり」とも述べられている。もとより、ここで「如来の使なり」とは、別しては日蓮大聖人のことをいわれているのであるが、総じていえば日蓮大聖人の門下につうずる。私どもは、始めも中ほども、終わりまで、多くの難ありとも屈せず、正法正義を信じ弘めていく、如来の使いとしての一生を送りたいものである。
 日蓮大聖人の門下と自覚するならば、大聖人の法を弘めていく過程において、幾多の難に遭遇することも、御書に照らしてとうぜんの理であると決意して、誇り高く進んでいくべきであろう。
 一般的にみても、新しき時代を開いていくべき思想、主義、哲学を主張し実践した場合には、かならずそれなりの難がつきまとってきたことは、歴史の証明するところである。過去には、科学における進歩においてさえ、さまざまな誤解と迫害がおおいにあったことも事実である。いわんや生命の深奥の変革という根本変革をなさんとする仏法において、難の起こることはとうぜんの一つの過程といわざるをえないのである。
 なにごとであれ、その途中で屈し挫してしまえば、目的は成就できない。信心の世界における一生成仏の目的もまた同じといってよい。
12  「慈悲のすぐれたる」とは、日蓮大聖人が、われわれの凡智では想像もおよばない不屈の大慈悲の御信念で難を忍ばれ、父親の子供を思うがごとく全人類を救済せんと、妙法という法理を示し遺されたことである。
 「をそれをも・いだきぬべし」とは、ふつう、天台、伝教等が大聖人に対して恐れをいだくというふうに理解しがちであるが、第二十六世日寛上人は文段で「吾が祖、天台、伝教に対して恐れを懐くの義なり。これ即ち天台・伝教に勝れたりという故なり」(日寛上人文段集124㌻)と釈されている。すなわち「天台・伝教よりも勝れているということは、天台・伝教に対して恐れ多いことであるが」との意であり、さきの「千万が一分」と同じく、謙の心を示されたのである。
13  ともあれ、日蓮大聖人は法華経を、理論でなく、いっさいの人々を救おうとする、その大慈大悲の心と実践によって読まれた。私どもが、そして末法永遠の全人類が、南無妙法蓮華経の大仏法にあい、幸福への大道を知ることができるのは、ひとえに日蓮大聖人の深遠無辺の大慈大悲のゆえんである。もとよりありえないことだが、もし大聖人が仮に難に屈しておられたとするならば、南無妙法蓮華経という大法を、私たちは永遠に知ることはできなかったであろう。
 同じ道理で、私どもも勇敢にこの法を弘めていかなければ、多くの人々は大聖人の仏法の偉大さを知ることができない。そこに、私どもの仏の使いとしての折伏、弘教の使命がある。
14  「報恩抄」にいわく「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし」と。
 慈悲とは拔苦与楽の義である。人間の根本的苦を抜き、根本的楽をに与えるところに真の慈悲がある。仏は衆生の苦悩に心を痛め、衆生に妙法という大良薬を与え、常楽我浄の人生を送らせようとされるのである。それは凡夫との浅い思議では、はるかにおよばない深い仏の境界であろう。
15  見事な信仰勝利の実証を
 末法という時代においては、三千年前の釈尊の時代よりも、また天台大師、伝教大師の時代よりも、人々の生命も濁り、悪の傾向が強くなっている。そこで大聖人の、人々に向けられる慈悲は、悪を打ち破ろうとする父の慈悲であり、厳愛である。
 われわれがおたがいに信心を強盛に深化させていくうえにあっても、厳しく誤りを正していかなければならない場合がある。仏法上において詐り親しむことはよくないと、釈尊も日蓮大聖人も仰せになっている。
 その慈悲、すなわち拔苦与楽の究極は、みずからも、そして人をも、大御本尊への信心、唱題を実践せしめていく以外にないのである。
16  ともかく、仏法実践の根本精神は、この仏の慈悲にある。暴力を否定し、犠牲者をつくらず、一人ひとりに尊厳なる仏界という生命を湧現させながら、すべての人々が最大の人生の喜びを満喫していくことにある。また、すべての国々において、すべての人々が活力をもって仏法という人間尊厳への法を根本として、未来に文化的、平和的社会の繁栄を創造していくことが目的である。
 最後に、信心は即生活である。観念ではない。現実である。生活、現実の源泉力なのである。ゆえに、この大慈大悲の御本仏の生命の御当体であられる御本尊に唱題し、人間としても、生活のうえでも、社会の現実のうえでも、多くの人々から、「日蓮大聖人の仏法の信仰者はこんなにも立派であるのか」といわれる、見事なお一人お一人になっていかれることを祈って、本日の私の話としたい。(ハワイ会館)

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