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日蓮大聖人・池田大作

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「後継者の日」に寄せて 未来後継の君たちへ

1981.5.1 「広布と人生を語る」第1巻

前後
1  いまの諸君をたとえるなら、精神、肉体ともに、何でも入れることのできる“器”のようなものであると思う。しかし、その器が、ひっくりかえっていたり“器”がふたで閉ざされていたのでは何も入らない。また、入れても入れても、底から漏れてしまう“器”でも困るし、汚いものでも何でも入れてしまう“器”でも困る。
 諸君は、みずからの生命という“器”の中に、いつも清らかな智の水をたたえ、善と悪、正と邪を正しく判断しつつ、これからの青春の生活のすべてを吸収し、自分の財産としてほしい。
 そのためにも、素直で清純な心をもちつづけ、大きく心を開いていかれることを願うものである。
2  諸君もよく知っているかと思うが『坊ちゃん』『三四郎』等で有名な明治の文豪・夏目漱石の小説『吾輩は猫である』のなかに、次のような一節がある。
 「凡て人間の研究と云うものは自己を研究するのである。天地と云い山川と云い日月と云い星辰と云うも皆自己の異名に過ぎぬ」と。
 少々むずかしいかもしれないが、諸君の輝ける未来のために紹介しておきたい。
 漱石がここでいおうとしたことは、人間が、山、川の自然や、太陽、月、星などの天体を研究したり、観察したりするのは、すべて自分自身を研究、観察したりすることと同じであるということなのである。もう少しやさしくいうならば、勉強をし、クラブ活動をするのも、すべて、自分のためにするのであるということである。先生のためでも、親のためでもない。
 今後、勉強をしていくにつれ、どうしても好きになれない科目や学科が出てくるだろうが、そんなときに「すべて自分のためである」と自分自身にいいきかせて、一生懸命にがんばってもらいたいというのが、私の心からの願いである。
3  最後に、とくに申し上げたいことは、我慢強い人、忍耐力に富んだ人に成長していただきたい、ということである。
 人生には、中途半端というものはない。最終的には勝つか負けるかしかない。もとより長い人生においては、勝つときも負けるときもある。とくに諸君のように春秋に富んだ時代にあっては、挫折感でくじけそうになるときも多々あると思う。
 しかし、広布の後継者である諸君は、いまはそれぞれの学園にあって断じて負けてはならない。弱き自分にうちかってもらいたい。
 そして、お父さん、お母さん、多くの友人たちから「さすがである」といわれるような学園生活であっていただきたいことを念願してやまない。

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