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日蓮大聖人・池田大作

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静岡文化会館での勤行会 仏法は境涯を開くためのもの

1980.5.13 「広布と人生を語る」第1巻

前後
1  功労者のお見舞いもあって、この地に寄せていただいた。近年、何かとご苦労やご心配をおかけし申しわけなく思っている。
 社会は競争であり、複雑で厳しいものだ。だれ人も幸福にしてはくれない。幸福を確立するもしないも自分自身なのである。結局は御本尊への強い祈りしかない。
 信心の目的は一生成仏にあるといってよい。ゆえに信心は強盛でなくてはいけない。人間、弱い心ではつねに縁に紛動され、苦しみ多き人生となる。私たちは、確固たる信念と強き信心で、一日一日を勝ちとり、充実の人生としたいものである。
2  仏法は境涯を開いていくためのものである。動物は境涯を開くことはできない。
 人間のみが境涯を開いていくことができるのである。境涯のいかんによって、その人の人格的価値は決まってしまうものだ。
 いま、私たちは、大御本尊を拝し、無二の信心をもって勤行・唱題することによって、はじめて自身の境涯を開き、慈愛もわき、生活の豊かさも、事業等での信頼感もましていくことができるのである。
3  御本尊に題目を唱えられることじたいが幸せなのである。たとえ、どのような境遇にあっても、唱題は人生万般の源泉である。ゆえに、勤行・唱題を持続していくところに功徳はつまれ、かならずや生活のうえに実証を示していくことができる。
 これを確信することが信心である。現在の立場が不遇であるからといって、御本尊を疑ったり、勤行・唱題をおろそかにすれば、功徳が現れないのはとうぜんの理である。

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