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日蓮大聖人・池田大作

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忘れまじ七月三日  

1980.7.0 「広布と人生を語る」第1巻

前後
1  一将功成らずして、万骨枯るの愚を繰り返していた太平洋戦争も、終末に近づいていた。
 民は家を焼かれ、飢えに苦しみ、まさしくこの世の地獄といってよい。昭和二十年七月三日のことである。
2  この日は、わが正宗の大信者戸田先生の出獄の日であった。先生は、法華経流布の故に治安維持法違反で入獄。獄中二年を経て、広布に輝く歴史的な出獄の日となった。
 戦前の当時、初代会長牧口先生の門下生は、三千を擁していた。初代会長は昭和十九年十一月十八日、獄中にて逝去。しかし、戸田先生が出獄し、再建を決意した時には、すべてといってよい同志が去っていた。権力を恐れ、世間に媚び、退転してしまったのである。そのなかにあって、なにものにも屈せず戦い続けてこられたのが、牧口会の方々である。
3  彼は、憤然とした――。
 牧口先生に恩をうけ、幾多の世話をいただきながら、彼らはその恩を捨て去った。のみならず、先生を怨み、憎み、罵倒し、中傷する姿を見て、これが今までの同志であったかと身震いした。
 正法正信の信念を貫くことの、いかに至難であるかを骨髄まで感じとったといってよい。彼は泣けなかった。
 正法のため、この人生の師のためにも、そしてまた新たなる金剛のごとき正法流布の地涌の戦士の陣列をつくらねば、広宣流布という偉大なる道は、いつになっても開きゆくことはできぬ、と深く決意した。
 仏法には、復讐はない。
 現当二世の大信心で、今こそ未聞の道を開きゆくことが、一切の解決であることを彼は知っていた。
 彼は、ふたたびの広布の戦士として青年の育成に力を入れた。青年には、無限の可能性がある。捨て身の精神がある。その要を確立せずして、民衆への原動力にはならないことを知っていたに違いない。
 その先駆の闘士育成のためにはと、厳しき薫陶と訓練があった。かくして現在の学会の首脳たちがあるのである。
 毎年、この七月三日がくるたびに、門下生一同が、なにかお祝いをと伺えば、彼は拒否した。
 今は、二百年後の人類の証明のために、折伏である、ただ建設である、宗門外護である、と一直線に指揮をとられた。
4  彼は常々言った。
 獄中での思索の結実として、遠くは日蓮正宗も、近くは創価学会も、幾多の発展の歴史があった。しかし、時とともに、衰微している。これからの複雑性の近代の時代には、その時代の動向と相まって、一人ひとりの信仰を成長、守護させるためには、組織を構築する以外にない。それ以外に、異体を同心とする厳たる信心の絆は、根を張ることができない、と。
 人間一人では弱いものである。その一人の人間の信心を、いかに支え、育成するかという重大さを、彼は知悉していたと確信する。
 彼は、一人の強信者も必要であるが、それとともに、幾百万の人々をも、広宣流布へと広範に前進させなければならない。そのためには、妙法という法理にのっとった組織の必要性に迫られていたのである。
 その、組織の善悪を超克して、現在の日蓮正宗創価学会の崩れざる発展をみるときに、見事なる先見と感嘆するのは、私一人ではないと思う。今や、広布の基盤は、多くの先輩、後輩のカが交わりつつ、完全に社会の中に、根を張ったといえまいか。
 この七月三日より、逝去の日まで、先生は、桜も、紅葉も見ずして、広布に走った。”戸田の生命よりも大切な広布の組織”といわれたのは、この故である。
5  この七月三日――。
 私も王仏冥合という法戦のために、牢に入った。いわゆる選挙違反の責任者としてである。急遽、北海道より、空路で大阪に向かう途中、乗り換えのため、羽田に降りた。そこに、申しわけなくも恩師が迎えにきてくださった。
 先生は、私の体を抱きしめ「もしお前になにかあれば、私もお前の上にうつぶして一緒に死んでいく――」と言われた。広大の慈愛に私は感動した。昭和三十二年のことである。
6  裁判は、当然のことながら無罪である。出獄後、私は「先生の出獄の日に、私は牢に入りました」と申し上げた。先生は黙して、ただ目に光が走った。
 多くの全国の同志に、ご心配をおかけしてしまった。なかんずく関西の同志には言葉に尽くせぬお世話になり、そのご恩は、終生忘れることはできない。
7  宗祖云く「ここに貴辺と日蓮とは師檀の一分なり然りと雖も有漏うろ依身えしんは国主に随うが故に此の難に値わんと欲するか感涙押え難し、何れの代にか対面を遂げんや唯一心に霊山浄土を期せらる可きか、設い身は此の難に値うとも心は仏心に同じ今生は修羅道に交わるとも後生は必ず仏国に居せん」と。
 私は、この御書が好きである。
 私はこの御文を思索しながら、常に、生涯にわたって、わが愛する同志とともに、仏法の師であられる御法主日顕上人祝下の御許に、力強き前進をしたいと念じている。

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