Nichiren・Ikeda
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永遠たれ五月三日
1980.5.0 「広布と人生を語る」第1巻
前後
1 いかなる集団にも、大なり、小なり、必ず指導者はある。指導者なき集団は、烏合の衆といってよい。
2 その日は、晴天であった。
青々と、広がる天空には、雲ひとつない。
まさしく、五月晴れの佳き日――。
昭和二十六年、五月三日のことである。
3 名利、久遠山常泉寺の本堂は、人波で溢れ、熱い血潮が流れていたであろう同志は、千数百人に及んだ。皆、服装も貧しかった。
午後二時。戸田城聖先生の会長就任の瞬間の一幕である。初代牧口会長逝いて七年。ここに、過去より現在に亘っての、広宣流布への指揮は、遂に、二代戸田会長に渡ったのである。
いうなれば、戸田会長は偉大なる指導者といえるのである。それは、戸田会長の誓願をみてもわかる。
彼は叫んだ。
「私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は私の手でいたします。……もし、私のこの願いが、生きている間に達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな。遺骸は品川の沖に投げ捨ててください」
この、稲妻が闇を切り裂くが如き、壮烈な信心に、胸うたれ、険を閉じる人もいた。
4 日蓮大聖人の指向する大折伏。
この御遺命に準じ、嵐の中に翼をひろげたひとりの凡夫、ひとりの信徒としての宣言であった。その一陣の風を吹かせし、一指導者と、それに連なる門下との共鳴は、大御本尊の御許に、遂に爆発したといってよい。
この事実の劇は、社会は知らず、何ひとつ報道されなかった。
戸田二代会長は、遂に立った。そして走った。大御本尊への誓願を胸に戦った。総本山外護のために、一身を擲った。御金言のままに、世間の誤解と、罵倒の猛き嵐はいやまして高まったのは当然といってよい。恐れて退する者もあった。無残にも反逆して誓いを破った者もいた。しかし、厳然たる法理のもとに、広宣流布という具体的な軌道は、確実にして揺るぎなく進められていったのである。
正宗の正統を、御本尊の功徳を、彼は訴え続けた。さらに、絶望の友、悲運の友には、確信と、希望と、満足の人生を与えんがために、その心と心との勝負を決しつづけた。
門下も共に走った。西に東に、南に北にと、祈り、叫び、訴えつつ闘った。昼夜を分かたず、阿修羅の如く、宗教革命に挺身していったのである。
5 また、戸田会長は叫んだ。
「信心は、大聖人の昔に還れ、教学は、日寛上人の時代に還れ」と。
一年が経た。その如来の使いたる折伏による救済は一万世帯となる。三年後には、約十万世帯となった。五年後には、三十七万世帯。七年後には、優に、七十五万世帯にと飛翔したのである。
その時の喜び――大御本尊の賞讃をかみしめ、代々の御法主上人へ御奉公でき得た感激は、永遠に厳として消え去ることはない。先生の生命の力は次第に衰えていた。今や、その妙法信受の人華は一千万を超えなんとしている。
6 就任式は、夕刻に終わった。
地涌の友の顔は紅に染まり、恩師の迸る信仰の心奥の叫びは、私たちの胸の中に確かに宿った。期せずして、青年たちは、戸田会長を胴上げした。揺れ動く、逞しき青年の腕に、先生は微笑していた。
その時の、若人たちも、今や、それぞれの分野で活躍している。ある者は、広布の指導者となった。ある人は、社会の有名人になっている。
ともあれ、恩師より流れた、生命と生命との、誓いの絆は、尊くも強かった。私も、あの時の青年たちの凛々しき顔を、今もって、忘れることはできない。
7 その胴上げのために――申し訳なくも、本堂の天蓋を傷めた。御住職の堀米尊能師(後の第六十五世日淳上人)にお詫び申し上げた。尊能師は「結構です」と、ニッコリお応えになられた。
後日、私は、その天蓋を新しく御供養させていただいた。今や、新本堂になった懐かしき常泉寺の御住職に、私の尊敬申し上げる藤本総監が就任されておられる。
8 一切の式が終わり、ここで、戸田先生の発願によって、有志からの御供養が行われた。その御供養をもって、時の御法主、第六十四世日昇上人猊下に「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の創価学会常住の御本尊の御下付を、お願いし奉ったのである。
9 ああ、五月三日。
あまりにも、輝き晴れわたる、この月、この日に、第三代のバトンタッチを、私もまた、受けたのである。この時の、日大講堂において、第六十六世日達上人猊下より「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」との御聖訓を賜った。
この御聖訓は、終生にして永遠に、私の胸臆に刻まれ、失うことは断じてない。
桜花の競い咲く四月六日、七日と、総本山では、第六十七世日顕上人猊下の御代替りの大儀式が行われ、私どもの喜びは、いよいよ総本山外護の決意に漲っている。
10 ここに本年もまた、五月三日が到来する。
わが同志は、北條現会長とともに、この広布の一つの峰ともいうべき五月三日を期して、信と行と学との精進を誓い合っていきたいものである。
私は、友の成長と、功績と、苦労を謝しながら”五月三日よ 永遠たれ”と祈らずにはいられない。