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日蓮大聖人・池田大作

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「七つの鐘」終了にあたって 聖教掲載

1979.4.24 「広布と人生を語る」第1巻

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1  親愛なる全国の皆さま、また世界に活躍されている友人の皆さま、ひとことご挨拶申し上げます。
 私どもは、初代牧口会長以来、広宣流布の大道に向かって、七年ごとのリズムを合言葉にして進んでまいりました。ここに来る五十四年五月三日を中心に、ついに「七つの鐘」の総仕上げともいうべき記念の日を迎えることができました。
 この四十九年間の、半世紀にわたる妙法広布の長征を、大御本尊のご威光を燦々と浴びながら、そして代々の御法主上人猊下の大慈悲をたまわりながら推進できえましたことは、まことに感無量であります。
 私は、この尊き慈折広布という聖業に不屈の奮闘をしてくださった皆さま方に深甚の敬意を表します。まことにありがとうございました。また、なによりも大御本尊様が、その強盛なる信心をご照覧くださり、ご称賛あそばされていることと深く確信するものであります。
 報恩抄にいわく「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし」と。
 御本仏日蓮大聖人の、この烈々たる大確信と大慈大悲の御聖訓は、まことに強き実感として、私どもの胸に惻々と迫ってまいります。
 御本仏の御金言は絶対であります。波乱興亡、諸行無常の歴史の流転、推移にあっても、この御聖訓は、永遠の力をもって、いかなる法が真実であるかを、如実に物語っております。
 この一つの道、そしておおいなる流れのなかに確たる広布史の一ページを飾りえたことに、皆さまは、それぞれ、ひとしおの感慨をいだかれていることと思います。互いに励ましあい、苦楽を共有した者のみが知る、生命の底より沸き立つさわやかな感動であります。
 戸田前会長いて二十一年、私もおかげさまで会長就任から満十九年、あしかけ二十年に及ぶ長き歳月を、皆さま方とともに苦難と栄光の歴史をつづり、今日にいたりました。
 浅学非才な私を、陰に陽に、守り支えてくださり、広布のために走りに走ってくださった妙法の勇者の皆さま方に、かさねてここにつつしんで感謝いたします。この貴重な足跡は永遠の生命の宝となることを確信していただきたいのであります。
 もとより、私どもは、末法の凡夫の集いであります。幾多の試行錯誤もありました。前進もあり、後退もありました。しかし、つねに波浪を乗り越え、上げ潮をつくり、その潮流を立正安国と人類の幸福と平和のために安定ならしめる努力をかたむけてきたのであります。その途上には、自らの使命を終えて、安祥として広布の花と散った尊い輝ける功労の方々も少なからずおりました。
 そこに貫かれた学会精神は、慈折広宣流布の大願を成就しようとの、ひたぶるな熱誠でありました。それゆえに、その信心を、大御本尊はご嘉納あって、諸天の加護をこうむり、苦難の極限にあっても、そのつど、活路を開くことができたのであります。
 御宗門におかれても、七百年史上、未曾有の興隆、発展の姿を示し、多宝富士大日蓮華山の名のごとく、総本山は、まさしく世界宗教の根源の聖地としてふさわしい威容がととのいました。まことに御仏意のしからしむるところであり、広布の時来った証拠であります。これもひとえに御法主日達上人猊下のご威徳のたまものであります。私どもも、この時に巡りあい、ご奉公の一分に加えさせていただきえましたことは、感激のきわみであります。
 世界にも、九十数か国にわたり、妙法の灯を掲げゆく地涌の眷属も誕生し「閻浮提内広令流布」の時を静かに待っております。
 現在人類の危機が叫ばれ、それが刻一刻と現実化していく世界にあって、この日蓮正宗という太陽の仏法こそが、唯一の希望であります。
 いまだ世界にわたる平和と文化の実現、緒についたばかりの段階でありますが、この地球上には、確実にその種子は植えられ、芽をふいております。
 これについては、私もいままで努力を積み重ねてまいりました。しかし、本格的に取り組むのはこれからであり、信仰者としての私どものなすべき大きな未来図として描いていかねばならない。平和、文化の魂は宗教であり、その潮流の力は、国家を超えた人間の力であります。
 古来、文化とは宗教が生命であった。平和もまた、人間の心の砦のなかに築いていくしかない。一つの基盤がととのったときは、恒久的な文化、平和へと歴史の流れを私どもの力でつくっていくしかないのであります。
 ともあれ、ここに広布の山並みが、はるかに展望しうる一つの歴史を築くことができました。すでに広布への人材の陳列も盤石となり、あとには陸橋と二十一世紀に躍り出る若人が続いている。まことに頼もしいかぎりであります。
 私どもは、この日、この時を待ちに待った。これこそ、ありとあらゆる分野、立場を超えて結ばれた信心の絆の勝利であり、人間の凱歌であります。
 日女御前御返事にいわく「周の文王は老たる者をやしなひていくさに勝ち、其の末・三十七代・八百年の間すゑずゑ末末は・ひが事ありしかども根本の功によりてさかへさせ給ふ」と。
 ここでは周の文王の「根本の功」が例にあげられていますが、いわんや妙法の「根本の功」が、いかに絶大なものであるかとの御意を拝することができます。
 私どももまた「七つの鐘」を打ち鳴らしてきた信心という「根本の功」によって、万代にわたり、興隆、発展しゆくことを、確信したいのであります。
 ここで大事なことは、広宣流布は、不断の永続革命であるがゆえに、後に続く人々に、どのように、この松明を継承させていくかということであります。一つの完結は、次への新しい船出であります。一つの歴史の区切りは、いま再びの新たなる壮大な歴史への展開となっていかねばなりません。
 私は、二十一世紀へのおおいなる道を開くために、また皆さま方の安穏と幸福のために、さらにお子さまたちが、正法正義を受け継ぎ、永遠に繁栄していくために、その流れをどうつくりゆくか、ということに、日々月々に煩悶し思索しつづけてまいりました。これが時代とともに歩みゆく、私の責任であったからであります。
 そして今ここに、化儀の広宣流布の歩みは、渓流から大河に、さらに大河から大海へと新しい流れをつくるにいたりました。さらに総本山を外護したてまつりながら、信心強盛に異体同心で、この大河の流れを安定恒久ならしめなければならないことを痛感する昨今であります。皆さま方のますますの晴れやかな、信心と希望と前進をお祈りするものであります。
 ともあれ広宣流布は「大地を的とするなるべし」との日蓮大聖人の御金言を深くふかく心に刻んでたゆまざる信行学の前進を再び誓いあっていきたいものです。
  そして、新しき世紀の時代に即応して、いちだんと賢明なる土台を、皆さまとともどもにここにつくりあげ、もって確固たる広宣流布の歩みを、勇んで進めていっていただきたいのであります。
 ひとこと「七つの鐘」の総仕上げの年を記念して、私の万感こめた感謝の気持ちを述べさせていただきました。

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