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日蓮大聖人・池田大作

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第1回茨城県支部長会 厳たる信心、安定の生活を

1978.12.24 「広布第二章の指針」第14巻

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1  年末でご多忙のなかご参集いただき、衷心より感謝申し上げる。ご苦労さまでした。あわせて、年末は一人も事故のないよう、また本年一年を立派に終えられ、今までで最高といえる新年を迎えられるよう、真剣に御本尊様にご祈念している。
 皆さん方は茨城の代表としていらっしゃるわけである。大B長(担)の皆さんには、皆さん方からくれぐれもよろしくお伝え願いたい。私も来年には、日ごろのお礼かたがた、茨城にもおじやましたいと思っている。
 茨城の皆さんは、この一年、じつによく奮闘してくださった。心から敬意を表したい。広宣流布の基盤はすでに盤石である。あとは、どうか皆さん方が、わが常住の地域をだれよりも愛し”日本一の茨城””楽土茨城”といわれるような、それぞれの支部つくり上げていってほしい。また、僧俗和合については、さらにさらに徹底して進めていっていただきたいと心から念願するものである。
2  次に、信心という一点については、厳たる姿勢であっていただきたい。まず自分自身に対して厳しくあるならば、その反映として、後輩にも厳たる、それでいて道理、納得、確信の指導ができるものである。
 あの人の信心の叫び、あの人の信心の指導を聞くと、なんともいえぬ勇気と確信がわく。道理が通っている。納得もできる。胸の中にしみこんでくる――そういわれるような名指導者であってほしい。
 信心は一切の根本である。信心に対するこの一点のけじめを明瞭にすれば、信心即生活で、人生の万般にわたって厳たる姿勢が確立されるものである。そのうえに立ってあとは自分らしく伸びのびと、常識豊かに、柔軟性をもって、賢明に振る舞っていっていただきたい。
3  また、皆さん方は、ご自分は当然のこととして、支部員の方々が、一人も残らず健康で、生活面においても安定し、繁栄していけるよう、真剣に御本尊に祈念してあげてほしい。また、きめ細かに信心の面倒をみてあげていただきたい。
 一つの支部を樹木にたとえれば、支部長さんは幹の存在である。支部員の方々は、そこから繁茂していく、いわば枝葉といってよい。その枝葉に功徳という見事な果実がたわわに実り、花がらんまんと咲き薫っていく。そのことをわが最大の喜びとし、賛嘆し、祝福してあげられる、立派な支部長さん方であってほしい。それが信心の世界の指導者の姿であるからである。
 「報恩抄」に「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり、極楽百年の修行は穢土えどの一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか、是れひとへに日蓮が智のかしこきには・あらず時のしからしむる耳、春は花さき秋は菓なる夏は・あたたかに冬は・つめたし時のしからしむるに有らずや」との御文がある。
 日蓮大聖人様の慈悲は広大無辺であられる。大難を莞爾としてうけられつつ、末法万年尽未来際の一切衆生のために法体を建立せられた。その大慈大悲の功徳は、あまねく衆生に、しかも平等に、永遠に流れ通っていくとの、大聖人様の偉大なるご予言、大確信であられる。
 私どもはもったいなくも、その御本尊を奉持し、未曾有の法戦に、地涌の菩薩の眷属として連ならせていただいているのである。私どもの功徳は、正像二千年間に法華経を弘通したいかなる人よりも、はるかにすぐれて大きいことを感謝したい。
 広宣流布のための法戦であり、一生成仏のための仏道修行であるからには、苦しいときも、つらい思いをするときもあるのは、むしろ当然である。しかし、信心のための苦労は、一切が永遠にわたる功徳、善根へと昇華されていくのである。

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