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日蓮大聖人・池田大作

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三重指導 深き信心で地道な実践を

1978.12.1 「広布第二章の指針」第14巻

前後
1  幹部は、厳正に御書を拝読せねばならない。とくに「六巻抄」ならびに文段等を基調としながら、確固たる教学の深化を、個人個人がいちだんとなしていくべきである。
 幹部が数人でも集まるところ、教学についてのさまざまな質疑応答、研鑚が自然になされるようになっていただきたい。そこに、新たなる深き信心と広布への潮流が始まっていくことを自覚されたい。
2  信心の根本姿勢は、謗法に対しては厳格でなければならない。世間での人間としての交流は、すべて自由であり自然である。ただし、ひとたび謗法であるか、いなかということについては、厳しいけじめある姿勢であるべきであり、それが正法の信心なのである。よって、知らず識らずのうちに、謗法にたぼらかされぬよう、この一点だけは互いに戒めあいたいものである。
3  われわれの世界は信心の世界である。すべては信心から出発し、信心に帰着するのである。信心に年齢はない。生きいきとした信心、生きいきとした人生の軌跡を、年齢のいかんを問わずに送っていただきたいものである。
 御本尊様への感謝がある人は、福運が、いやましていくものである。不平と批判と怨嫉の人々には、泉のごとき福運はわかないであろう。怨嫉の心では、生きる喜びも出ない。生きがいのない人生、生命の躍動感もない人生は、たとえ、いかに表面をつくろっても、その実像は不幸という以外にない。
 ともあれ、信心の大敵は怨嫉である。怨嫉のなきよう、幹部は公平に話を聞き、納得のいくすっきりした信心指導をお願いしたい。また、真心からの激励をお願いしたい。もっとも身近なところに幸福もあり、というものはないからである。不幸もあるからだ。現実の人生を離れて広宣流布というものはないからだ。
4  ともかく題目をあげれば自分が変わる。自分が変われば環境も変わる。したがって、いかに多繁であっても、勤行、唱題という根本の実践をけっしてゆるがせにしてはならない。勤行、唱題をなおざりにしては、空転してしまい、価値を生じない。どうか、しっかり勤行し、一日一日を大切にしながら生きぬいていただきたい。
5  広布の法戦の途上で亡くなられた方のご家族は、陰に陽に大切にしなければならない。その方々がおられたればこそ、今日のわれわれの栄光の世界があるからだ。とくに幹部は、そのようなご家族に対しては、真心を込めて接し、守ってあげてほしい。
 師走に入り事故が多くなる。それぞれのご一家も、各拠点も、けっして事故のないよう祈り、気をつけ、連絡を密にしながら、本年最終の月を見事に送り、晴れやかな元旦を迎えていただきたいものである。
6  すすんで個人指導を
 幹部は、組織の上に立って号令しているようでは絶対にならない。なによりもまず後輩の人たちと会うことだ。どれだけ大勢の人々と会い、激励し、指導したかが、もっとも大切である。会えば会うほど、後輩が立ちあがっていくことは厳然たる事実である。
 まことに地道ではあるが、この行動が時代・社会の確固たる先取りであり、いかに深く広い広布の基盤となるかを忘れてはならない。
 ともかく、元気いっぱいの、正信の人々との和合があるところに、人生の充実感もわき、生きがいも希望もわいてくるものだ。また、大切なことは、つねに信心強盛な人々と、ともどもに歩んでいくことである。目的もなく、信心弱き人と共にいることは、しだいに堕落してしまう場合が多い。
7  信心しているからといって、反社会的な行為は絶対に許されるものではない。ましてその人が幹部であった場合には、大勢の純粋な人々が苦しむのである。したがって、そういう人を擁護することは、かえって大勢の人を苦しめることになる。この点を鋭く見ぬき、的確に対処できる健全な組織であっていただきたい。
8  交通事故には、くれぐれも気をつけていただきたい。ちょっとした油断から尊い生命を犠牲にするようなことがあっては絶対にならない。もし、そうした人と接した場合には、どこまでも御本尊を根本とし、自力で大きく変毒為薬していくよう最大の激励を願いたい。

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