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学生部代表懇談会 信心を深め学理を探究

1978.11.27 「広布第二章の指針」第14巻

前後
1  社会は相対的なものであり、人間も絶対に完全なものではない。ゆえに人間は、不滅の妙法を絶対と信じていかなければならない。そのうえに立って、人間自身の錬磨と向上への努力が必要となってくる。
2  社会の上下構造はやむをえない。かりに矛盾があったとしても、その形態はいずれの社会、国家でも否定できないであろう。しかし、私どもは、大御本尊様を根本として、縦隊ではなくして、横隊であらねばならない。すなわち、一人ひとりの人間は、すべて平等であるということが根幹である。
 そのうえに立って、形態上、手段として上下の組織が必要とならざるをえないのである。しかし、すべて同じ信仰者として、人間として、激励しあっていく。そして、つねに少数意見を尊重しなければならない。
3  大学は、学理の探究の場である。勉強しなければならない。いま勉強しておかなければ、社会に出たときにかならず悔いるであろう。諸君は、信心しているがゆえに、より勉学に励んでいくことが自分の責務であると決め、体を頑健にし、信心を深め、学理をぞんぶんに身につけていただきたい。
 暴力は絶対にあってはならない。これほどの愚はない。人間は知性を誇りとすべきだ。
4  一人ひとりの生命は、その人なりの傾向性をもっているといってよい。そうした傾向性は、実践行動の積み重ねによって形成され、決定づけられていくといえる。いつも学問研究にうちこんでいる学者は、おのずから声聞の生命傾向をもつようになる。修羅闘諍の日々を繰り返している人は、修羅の傾向性をどうしてももつにいたる。と同じように、大御本尊様に南無し奉り、広宣流布のために日夜活躍することが多ければ多いほど、その生命は、菩薩界へ、仏界へと志向性を強めるのは、当然の道理である。
5  強盛な信心で人間革命の人生を
 「後世まで改まらざるを性と云うなり」との日寛上人のお言葉がある。たいへんに深い法義である。
 その意義から、性格あるいは個性をみずからもみ、また人の個性をみることも重要な問題といえよう。
 かりに流れる川にたとえるなら、その流れる道筋は変わらないとしても、水カサとか水の清濁は変えることができよう。その意味から、われわれ人間の性格、個性は不変であったとしても、体質は変えていけるものである。すなわち、境涯を深めるとともに、人生の真実の幸福を満喫することが、大御本尊様のお力と私どもの信力によって可能となるのである。
 私も、私自身の性格はなかなか変わらないことを痛感している一人である。そのために失敗し、損をすることもある。だが、そうしたことも、強き信心によってよりよく転換しながら人間革命していく以外にないと思っている。
 ともかく、人それぞれに長所もあれば、短所もあるものだ。それゆえに、自己の短所、あるいは欠点も変毒為薬していける、この妙法の信心だけは粘り強く持続していかなければならない。いかなる短所も、強盛な信心があれば、かえって自分の成長と向上のための絶対の条件となることを確信していきたいものだ。
 諸君も、将来を担い立つ指導者として、妙法に照らされながら、自分の個性をみつめる一方において、多くの人々の性格、個性というものをよく把握しながら指導していくことが必要となってくるであろう。性格や個性というものを、そのようによく見極めていくところに、人々をよき方向へと指導できるのである。
6  私は「人材育成の年」に向かって、全力をあげて諸君を訓練したい。次の発展を託したいゆえである。将来の力ある人材をつくるためには、甘やかすことはできない。私は少年期より病弱であった。諸君はどこまでも頑健であってほしい。この病弱であり、早死にするといわれた私が、大御本尊様を信奉した功力によって、一日たりとも休むことなく、広布の偉業に精進できえたのである。これは、大御本尊様のお力以外のなにものでもない。
7  諸君は若い。社会的に認められるのは四十代からである。ゆえに、あせってはならない。大学の勉学は、いちおう四年である。しかし、信心は一生である。ゆえに、その一生涯にわたる信心のうえに立って、この四年間を思うぞんぶん、勉学にいそしんでもらいたいのである。
 私よりすべてに恵まれた諸君が、私以上の偉大な人生を歩みゆくことは間違いないと信じている。

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