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日蓮大聖人・池田大作

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第1回千葉県支部長会 ”如説修行”の人生に大福運

1978.11.25 「広布第二章の指針」第14巻

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1  遠いところ、またご多繁のなか、本部にご参集くださり、第一回の記念すべき支部長会を開催されて、私こそ感謝申し上げる。お元気な皆さんのお姿を拝見してなによりもうれしい。今後ともいろいろご苦労をかけるかと思うが、よろしく願いたい。
2  人間だれしも”死”という問題から免れることはできない。イギリスの故トインビー博士も、この”死”という問題について、世界のいかなる指導者も、また為政者も、この解決のために、真摯に取り組むべきであり、この重要な問題から逃避しては世界の恒久的な平和もありえないであろうと語っておられた。この意味からも、同博士が、東洋の英知たる高等宗教、すなわち仏法に期待されていたことが、今もって感銘深く思い出されるのである。
3  皆さんは、日蓮大聖人の御聖誕の地で広宣流布のために活躍しておられる。大聖人の御生命であられる御本尊に、朝な夕なに南無し奉り、悩める人々のために妙法を説き、教え導いてこられた。大聖人のおほめを確信されたい。
 僧俗和合は私の信条であり、学会の指針である。これなくして広宣流布はありえないのである。その根本路線の上で、大聖人御聖誕の地に、日本一理想的な仏国土の建設に邁進していっていただくよう願ってやまない。
4  われわれは一度は死する身ではあるが、御本尊に帰命し、仏法を信受して、永遠の生命の法理にのっとった人生である。この意義に照らして、かりに皆さんのなかのだれかがこの世の使命を終えたとしても、みんなで盛大に追悼し、うるわしい同志愛をもって送ってあげたいものである。
5  学会の草創期は、実質十二支部からの出発であった。今日の発展の姿を思えば、まさに隔世の感である。本日、皆さんのために駆けつけてくれた和泉副会長も、辻副会長も、大変な苦難の歴史を歩みながら、今日の確固たる信心模範の人生を築かれた方である。
 皆さんも、恵まれた境遇に甘えることなく、苦難にあうことを当然と覚悟を決めて進んでほしい。その人の信心の深さも、人間としての偉さも、いざ大難にあったときに決まってしまうからである。
6  皆さんが支部長、婦人部長であられる間に、人材を訓育しながら地道に、将来、二支部にも三支部にも発展させようという、確たる決心と目的をもって前進していくことが大切と思う。すべては現実の実証で、その人の評価が決まるものである。生涯永遠にわたって称賛されゆく初代の支部長、婦人部長であるよう祈ってやまない。
 後輩の支部員に対しては、一にも二にも、勇気と確信をもって指導、激励にあたってほしい。だからといって、けっして無理をしたり、冒険主義であってはならない。どこまでも慈愛深く、また忍耐強く、自分らしく誠意を込めて、あたたかく支部のすみずみまで光をあて、また全支部員の面倒をみていただきたい。
 指導にあたっては、とくに”なんでも聞いてあげよう”との姿勢が大切である。聞いてあげることじたいも指導であり、そこから始めることが仏道修行と思って、一人ひとりを大事に包容していきたいものである。何事を成すにも独りよがりは通用しないものだ。ともかく、千葉の幹部の皆さんは”何でも聞いてあげよう”を合言葉に前進していっていただきたい。
7  各部との連係を密にし、また、各部の特性を深く尊重しながら、最後の責任は自分がもっという自覚を忘れてはならない。それが指導者の要件であるからだ。ともかく経文にも説かれているとおり「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」である。現在の仏道修行のなかに、未来の偉大なる一生成仏の因が刻印されていくのである。苦楽ともにすべてを善知識ととらえて、さっそうと広布の第一線の指導を願いたい。
8  最後に、きょうの佳き日を記念して「阿仏房尼御前御返事」の一節を拝読させていただく。「弥信心をはげみ給うべし、仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし、よしにくまばにくめ法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし、如説修行の人とは是れなり、法華経に云く『恐畏の世に於て能く須臾も説く』云云、悪世末法の時・三毒強盛の悪人等・集りて候時・正法を暫時も信じ持ちたらん者をば天人供養あるべしと云う経文なりし(御書1308ページ)――。
 この御文の冒頭の「弥信心をはげみ給うべし」は、もっとも私どもにとって大切なことである。御書を拝読すると、これと同じ御文を各所でお説きあそばされている。われわれは、いよいよ信心に励んでいかなければ、大聖人のお言葉に反するのである。
 そのために、励ましあい、目標を与えるのであり、組織の必要性もそこにあるわけである。信心は、観念ではない。祈りであり、行動実践である。「理」ではない。あくまでも「事」なのである。
 また「仏法の道理を人に語らむ者をば……」の一節は、日蓮正宗創価学会が、今日まで他宗と戦いながら正法流布に専念してきたがゆえに、御文のとおり、いわれなき世間の批判中傷をあびてきたのがこれまでの広布の歴史であった。
 われわれは、どこまでも、大聖人の正法正義の実践にあたっては「よしにくまばにくめ」の御金言に身をまかせ、勇気ある如説修行の人としての一生をともどもにかざっていきたいものである。
 そして、いかなる苦難にも一歩として動ぜず、また退かず、むしろ喜びとしていける実践があるかぎり「天人供養あるべし」とあるとおり、信心は深まり、境涯は開かれ、諸天の加護も厚く、一生成仏も絶対に間違いないのである。
 支部長、婦人部長の皆さんが、体を大切にし、御本尊の偉大さを賛嘆しつつ、後輩の成長を楽しみ守りながら大切な人生を送っていかれるよう、心より祈っている。

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