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創立48周年記念第23回本部幹部会 二〇〇一年へ希望と勇気の船出

1978.11.18 「広布第二章の指針」第14巻

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1  諸天も寿ぐ晴天のもと、お元気な牧口先生のご家族ならびに門下生、戸田先生のご家族ならびに多数の門下生のご出席を願い、本日ここに、創立四十八周年の晴れやかね総会の意義を含めた幹部会を、ますます信心強盛な会員の皆さまとともに迎えることができ、これ以上の喜びはありません。本日はほんとうにおめでとうございました。また、ありがとうございました。
 創価学会も苦難と試行錯誤と、そして広宣流布前進の栄光の交差のなかで、ここに四十八年の年輪を刻むに至りました。なかんずく戸田先生逝いて二十年、その間、昼夜を分かたず正法弘通に奮闘せられた皆さまに、私はただただ深甚の感謝を申し上げるのみであります。
 とともに、明年は、学会創立以来、打ち鳴らしてまいりました七つの鐘の総仕上げの年をついに迎えることができたのであります。さらに明後、昭和五十五年は、創立五十周年という大きな歴史の年となります。そして、いよいよ昭和五十六年には、日蓮大聖人第七百遠忌という、宗門における一大慶事がございます。
 いうなれば、私どもにとって、もっとも晴れがましい、もっとも重要な時節を迎えるわけであります。どうか皆さま方は、これからもさらに確固たる信心を基調として、健康第一で功徳に満ちみちながら、伸びのびと余裕をもって、所願満足の人生を送っていかれますよう、心からお願いいたします。
 私は、過去において、中国問題にもふれ、また食糧問題や教育国連、さらには最近、国連に未来に向けての核廃絶の提言もいたしました。ぜんぶこれは、未来のためであり、仏法者の立場と責任から、人類の良心に訴えたものであります。本日も、記念の提言として、とくに環境問題を中心として、あわせて「地方の時代」あるいは「太平洋文明」等を論じた内容を、明日付の聖教新聞に掲載させていただくことにいたしました。
 しがって、この席では、簡潔に信心のことを中心として、話をさせていただきます。
2  信心の目的は何か
 私たちの信心の目的は何か――。それは、一生成仏と広宣流布であることは明確であります。そのために、私たちはふたたび、戸田前会長が残された永遠の指針、すなわち①一家和楽の信心②各人が幸福をつかむ信心③難を乗り越える信心、の三点を深く胸に刻んで進んでまいりたいと思います。
 一家和楽といい、各人の幸福といい、難を乗り越えることといい、すべて私どもの人間としての生き方と深くかかわっております。だれびとも人生には、深い苦悩がある。仏法は、それを生老病死と説いている。あるいは愛別離苦――愛する人と別れなければならない苦しみ、怨憎会苦――逆に憎くて憎くて二度と顔を見たくない人と会わねばならない苦しみ。――これらの苦しみは、皆さんもよく経験されていることと思います。
 実際に、こうした生命の問題、心の問題の解決は政治、経済、科学、またいかなる学問や道徳をもってしても、どうすることもできない大問題であります。これを解決するのが真実の宗教であります。
 これまでの多くの宗教は、これらの苦しみの恐怖から逃避させたり、幻のような理想郷へ誘うものでありました。日蓮大聖人の仏法は、この、だれびとも避けたり逃げたりすることのできない現実の苦悩と真っ向から対決し、大御本尊を受持することによって、常楽我浄の道を開いたのであります。
 御書に「四面とは生老病死なり四相を以て我等が一身の塔を荘厳するなり、我等が生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るはしかしながら四徳の香を吹くなり」と仰せであります。
 生老病死という四つの苦しみをもって、わがこの生命を荘厳し、常楽我浄の当体としていけるとは、なんとありがたい、また偉大な法門でありましょうか。まさに一生成仏の要諦はここに尽きるのであります。
 一般の人々は、苦悩から離脱しようとして、かえってもがき苦しんでおります。私たちにとっては、苦悩それじたいが、わが生命をかざっていくのであります。
 私たちには、信心という希望がある。確信があります。格言に「希望がなければ、何事も成就しない」「絶望とは愚者の結論である」とあります。どうか、妙法に生きる人生は、最高の思い出であり、最高の希望であり、永遠の生命観に立った実像の幸福の世界に生きていることを確信していただきたいのであります。
3  人材の根本の要件
 次に、人材の根本の要件について申し上げたい。
 まず人材とは、地道に信行学に励んでいる人すべてが人材であります。そのうえに立って、組織と人間ということについてふれれば、わが学会の尊い和合の組織が、広布の生命線であることには永久に変わりはありません。しかし、大切なのは人間であり、一人ひとりの民衆の幸福のために、手段として組織があることも銘記していただきたい。
 また組織は、一人ひとりの人間から出発したところにあるのであり、いわば、その結果でもあります。すなわち、一人ひとりの強盛な信心、同志の連帯が、尊い組織を生み出していったのであります。
 もしかりに、組織に、こうした美しい人間関係が失われたならば、組織悪になってしまうおそれがある。ゆえに、七つの鐘の総仕上げの年を「人材育成の年」と銘打ったのは、人間と人間との深い交流のなかから、重層的、立体的にあらゆる分野にわたって、人材が育っていくことを願うからであります。
 創価学会も、歴史的に一つの段階は完成をみました。また社会にあっても、戦後三十余年、激動の乱世の様相は静まり、すべてが整備、安定の時代に入ったととらえることができましょう。
 大聖人の御聖訓に「仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」とあるように、また随縁真如の智とあるごとく、この時代の志向性に即応して、堅実なる基盤をつくっていくことが、今後の正しいあり方と信ずるのであります。それを踏まえなければ、仏法が社会から遊離してしまうことになる。したがって、これからは一人ひとりの人間としての生き方が問われる時代であるともいえるかもしれない。そこにこそ、恒久的な社会安定の道があると考えるものであります。
 そこで、今後は、組織活動をしゃすい人だけが人材であるとの、ともすれば陥りがちな、狭い考え方を打破して、大きい眼で、広い心ですべての立場の人々を包容し、立てていくことが大切であります。
 ともあれ、だれびとにも、それぞれにふさわしい信心と広布の生きがいをもつようにしてあげることが、人材育成の根本の要諦である。そして、わが地域社会には、これだけ多種多様な人たちが使命を感じて活躍しているということを、最大の誇りとしていっていただきたいのであります。
 また、年齢的に長じた先輩に対する考え方も大切であります。御書に「周の文王は老たる者をやしなひていくさに勝ち、其の末・三十七代・八百年の間すゑずゑ末末は・ひが事ありしかども根本の功によりてさかへさせ給ふ」とあります。
 そうした年配の方々は、人生においてさまざまな辛酸をなめ、経験が豊かであられる。人間的にもみがかれ、いわば人生におけるベテランともいえる貴重な人たちであります。これらの方々が生きいきと広布の使命を担っていくとき、人々には、ほっとした安心感と自信と勇気がみなぎってくるものであります。
 そうしたなかに、青年の育ちゆく、より豊かな土壌が培われていくことも間違いありません。また年配の方々も、未来を担う有為な青年たちを、長い眼で見守っていただきたいのであります。
4  永遠に僧俗和合の路線を
 次に、つねに申し上げていることでありますが、僧俗和合がなければ、絶対に広宣流布はありえないというのが、私の信念であります。ゆえに、宗門を外護して永遠に僧俗和合の路線を精進することを、学会永久の指針としておきたい。
 思うに、社会万般にあっても、伝統と近代化、歴史の重みと進歩発展、規範と展開・実践をどう調和させ、昇華させていくかが、最大の課題なのであります。
 規範なき展開、安定なき進歩、伝統の裏づけなき近代化は、根の浅いものであり、永続性をもちえないとの視点に立たなければならない。したがって、私どもにおいても、時代、社会、世界に仏法を展開するさいに、わが日蓮正宗の正法正義をいちだんと厳正に踏まえながら、広布の前進をしてまいる決意であります。
5  二十一世紀へ五年ごとの前進
 ここで話は未来のことになりますが、皆さまといっしょに二〇〇一年までの流れをひととおり概観しておきたいのであります。じつは西暦二〇〇〇年は、創価学会創立七十周年にあたるのであります。また戸田先生の生誕、ちょうど百年であります。
 かつて日淳上人は、創価学会第十八回本部総会の席上、戸田前会長が願業たる七十五万世帯を達成したことについて「会長先生は七十五万を目標に折伏弘教に励まれましたが、私は、この七十五万といわれましたのには、深い意味があるものと考えておりました。それは改めて申すまでもなく、七十五万は、南無妙法蓮華経の五字七字であると私はつねに察しておったのでございます。南無妙法蓮華経の五字七字を目標として、これを確立する時には、すでに広宣流布の基礎が出来上がるということを考えられておられたと、察しておるのでございます」と仰せられました。
 この五字七字の意味から、今までは七年単位で進んできましたが、今度は、昭和五十五年を一つの区切りとして、これからの二十年間を、五年単位で考えてみたいのであります。だからといって細かに考えすぎたり、またせっかちになる必要はありません。
 まず昭和五十五年、すなわち一九八〇年から一九八五年の五年間――これが第一期の五年間であります。この第一期で、私たちは、これから始まる人材育成の流れをさらに深く広くつくりあげたい。第一にも第二にも信心に徹した人物を”全員人材”を合言葉に、また人材育成即広布推進と決意して、一人ひとりをみがきにみがいて育てていきたいのであります。
 人材は一切の宝である。人材は力であり、人材に勝るものはない。そして、その人材群が、ありとあらゆる社会の分野で仏法証明の波動を及ぼしていくことを念願するものであります。
 その次の五年、すなわち一九八五年から一九九〇年の五年間が、第二期であります。第二期の五年目の一九九〇年は、大石寺開基満七百年の大佳節であり、また恩師戸田前会長の三十三回忌にあたる年でもあります。
 私どもは、この時までに、戸田前会長の遺言である「原水爆禁止宣言」に示されたごとく、社会的にも厳然たる一大平和勢力として、安定した学会の力と姿を実現しておきたいのであります。
 次に一九九〇年から九五年までの五年間が、第三期の五年であります。ここでは一閻浮提広令流布の御遺命実現に向けて、海外も含めて、今世紀の総仕上げをしつつ、二十一世紀への準備期間とする考えであります。学会二世、三世である幾十百万の、今の中学生、小学生たちが二十代、三十代になる年でもあります。この流れは、すでに着々と整っております。
 それから次の五年間、すなわち一九九五年から二〇〇〇年までを、第四期としたいと思うのであります。
 この西暦二〇〇〇年は、学会創立七十周年であります。その翌年が、西暦二〇〇一年、すなわち二十一世紀のはじまりであり、第二の七つの鐘のスタートであります。また二〇〇二年には、立宗七百五十年を迎えます。そのときには、時代も社会も、またありとあらゆる舞台も大きく変わっていることは論をまちません。
 しかし、私どもは、この第四期の終わりに末法万年のために、今世紀の広宣流布のシンボルとして、意義ある場所にすべての方々と相談しながら、広布記念の塔といったものをつくりたいと念願しておりますが、皆さまいかがでしょうか。(全員賛同の拍手)
 親愛なる皆さまは、どうか、妙法に照らされながら、一人ももれなく長寿であってください。この新しき、輝かしき黎明の日、黎明の世紀を、ともどもに迎えたいと思います。
 これからは、学会は、けっして背伸びしたり、無理をするようなことはしないでまいります。あくまでも、一切を点検し整備しながら、全員が心から安心して信心即生活に励み、衆生所遊楽の人生を送っていけるように、私どもは道を開いていく決心であります。
 ともあれ、次の世代に松明をわたすまで不死鳥のような生命力で生きぬいて、各人の信心と人生の勝利の凱歌を見事にあげていただきたいと思います。
 私も及ばずながら、力のかぎり道を開いてまいります。なお明年、海外への交流指導にも行く予定でありますので、どうかご了承ください。
 以上をもちまして、私のあいさっとさせていただきます。

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