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日蓮大聖人・池田大作

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泉州文化会館開館記念勤行会 苦楽を共に安穏、長寿の人生を

1978.11.10 「広布第二章の指針」第14巻

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1  信心に憶測や惑いがあってはならない。勇気ある信心こそ、功徳の源泉であることを銘記されたい。
 自分の幸せをめざすとともに、地域の繁栄のために活躍することは、立正安国に通ずるもっとも尊い行為といえよう。
 その自分という主体の確立と地域社会が繁栄しゆく関係は、いうなれば地球の自転、公転のリズムにもたとえられるものであり、その本源の力が妙法なのである。
 「煩悩即菩提」「生死即涅槃」の原理は、われわれの信心の極致でもある。いかなる苦悩に直面しようとも、この原理があることを忘れないで、いちだんと強盛な信心の持続を願いたい。
 悪縁に紛動され、それを根本にしてしまうような信心であっては絶対にならない。何があっても御本尊を根本として人生を生きぬくことが大切である。
2  「衆生所遊楽御書」(御書1143㌻)を、現実の人生、生活にあてはめてお話ししてみたい。
 御本尊に題目を唱えぬき、みずからの仏性を涌現していくことこそ、色心、依正ともに絶対満足の幸福境涯を築きゆく根本軌道なのである。この揺るぎない幸せの人生を悔いなく送っていくためにも、あくまでも根底の一念を御本尊に定めるべきであり、その信心を不退に持続することが、現世安穏・後生善処の人生につながっていくのである。
3  皆さんこそ、子孫末代に福運を流れ通わしめていく信心の根っこの存在であることを深く確信していただきたい。
 いかなる世間の諸事象に直面しても、大きな心をもって悠々と前進されたい。
 御書に説かれているごとく、広布に生きるわれわれの人生には、大なり小なりの苦難はつねにつきまとうものである。それが仏道修行の当然の姿であり、それゆえに、われわれは永遠に苦楽を共にしながら広布の遠征をしていくのである。
 ともかく、大聖人の御一生は、その生涯にわたって迫害と留難の連続であられた。その末弟としての誇りをもち、苦難に直面することをむしろ名誉とも思って、いよいよ強盛な信力を出しながらの活躍を願いたい。
4  信心のことでけっして感情的にあらそってはならない。仏法は道理である。家族、親戚、友人のなかにあって法を説くことは大切であるけれども、低次元になりさがってあらそうことは愚である。
 自分のために信心をさせようとするところから、いさかいが起こるのである。あくまでも夫のため、妻のため、子供のため、友人のためという深い愛情からの言動でなくてはならない。そのときに初めて、人々は、信仰者の心を深くくみとることができるのである。
 われわれはお互いに凡愚の人間である。また生ま身の人間であれば、体調が不順な場合もあるだろう。スランプのときも多々あるにちがいない。その相手の立場を理解できないで、ただ感情的に戒めるようなことがあってはたらない。つねに相手の身になって心から理解したうえでの信心の指導であり、激励であっていただきたい。
 毎日お話をしていることだが、僧俗和合についての基本指導の徹底を願いたい。この正しい永久的な路線の確立のために、最大の協力をしていただくよう、重ねてお願い申し上げる。

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