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日蓮大聖人・池田大作

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東京・武蔵野圏婦人部学習会 一大秘法が仏法の根本と銘記

1978.10.31 「広布第二章の指針」第14巻

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1  教学は、学会の草創期以来、発展の骨髄となってきた運動である。とくに”実践の教学”が大事である。
 日蓮大聖人が「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」と仰せのとおり、われわれはどこまでも、日蓮門下としてのこの正道を歩みつづけていかねばならない。
 われわれが学ぶ仏法の根本とは、一大秘法である。すなわち人法一箇の大御本尊様のことである。「人」とは末法の御本仏であられる日蓮大聖人、「法」とは南無妙法蓮華経という宇宙根源の法則であることを深く銘記すべきである。
 この一大秘法より三大秘法、六大秘法と開かれ、さらにそこから八万法蔵という一切の諸経、一切の法理へと開かれていく。ゆえに一大秘法こそが根本であり、仏法の原点なのである。
2  いわゆる古文を原典として、思想、宗教を学ぶということは、大学などにおいてもごく限られた人たちによって進められているのが現状である。それほど難解で大変なことなのである。いわんや妙法は、一切の諸経、哲理を包含した最高峰のものである。
 その仏法を、皆さん方は日常的に、人生、生活、社会のなかで学び実践しておられる。ある大学の教授は「皆さん方はわれわれにできないことをやっている。じつに偉大なことだ」と評価していたが、教学試験に臨むにあたり、お一人お一人がこの偉大なる誇りを胸に、着実に研鑚の実を積み上げていただきたい。
 仏法には、一切ムダというものはない。人間である以上、当然、学んだものを忘れるということはある。しかし、御本尊に題目を唱えながら御書を学んだことじたいが、みずからの生命に福連を積んでいることになるのである。
 また試験である以上、当然、合否の結果はある。しかし、たとえ合格しなかったからといって失望する必要はない。合格してもしなくても、生々世々にわたる福運を積んでいる研婁のだという自信をもって、明るくさっそうと前進しゆく”信心の合格者”であっていただきたい。

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