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中日友好協会主催歓迎宴でのあいさつ  

1978.9.17 「広布第二章の指針」第14巻

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1  尊敬する全国人民代表大会常務委員会副委員長鄧穎超先生、尊敬する全国人民代表大会常務委員会副委員長・中日友好協会会長廖承志先生、ならびに夫人、尊敬するご列席の友人の諸先生。中秋節の佳き日、こうして寥承志先生のご招待によって、私ども創価学会第四次訪中団歓迎の宴を催していただきましたことは、生涯、忘れることはできません。ほんとうにありがとうございました。
 また昨日は、夜遅くにもかかわらず張香山先生、超撲初先生、経普椿先生、その他多数の先生方のお出迎えをいただき恐縮しております。一行を代表して衷心より御礼申し上げます。
 今回は、上海、蘇州、無錫、宜興県、南京を経て北京にまいりましたが、どこの地においても「日中平和友好条約」の締結を喜んでいる多くの友と友好を深めることができました。条約締結を願ってきた一人として、こんなうれしいことはありません。
 私は、十年前、日本の未来を築きゆく数万の若き学徒の集会で、日中の友好を訴えたことがありました。戦争の時代に青春の日々を過ごし、戦争の悲惨を見てきた私の、二度と戦争を繰り返してはならないという固き心情からでありました。
 まさしく「日中平和友好条約」こそ、日中両国人民の願望であり、これがアジアの平和、世界の平和に寄与するのは、歴史の必然の帰着であります。
 周恩来総理が、亡くなられる一年前に私に会ってくださり「中日平和友好条約」の早期締結を語っておられたことを、つい昨日のように鮮明に記憶しております。周総理がご健在であれば、どれほどか、この調印を喜ばれたことでありましよう。
 あのとき、周総理は「二十世紀の最後の二十五年は、世界にとってもつとも大事な時期です」と語っておられました。今回の条約は、周総理のご遺言の実現とも確信するのは私一人ではないと思います。
 条約締結にまで至る廖承志先生と、廖承志先生をはじめとする中日友好協会の諸先生方の永年のご尽力、言語に絶するいばらの道を切り開いてこられた日中の各界の先人、先達の苦闘に思いをいたすとき、万感の思いが込み上げてまいります。私は人民の一人として、こうした尊い労苦に対して、甚深の敬意を表するものであります。
 なお、さらに今後、この条約にもられた平和を守る精神を、どのように構築していくか――。この課題こそが、この条約の意義を真実に総仕上げしていくものとして、もっとも重要なものであると思うのであります。
 毛沢東主席、周恩来総理は逝去されました。しかし、後継の華国鋒主席、鄧小平副主席等の方々がご健在であられ「四つの現代化」をめざして、新たな建設の息吹で新しい長征が始まっています。
 この七日間、五都市一県を訪問させていただき、現実にその成果が着実に実証されている姿をたしかに拝見いたしました。趨撲初先生は車中で「日中間の輝かしい歴史の1ページが始まった」「中国は新しい長征が始まった」と語られていました。この未曾有の建設の長征が偉大なる成功を収めていかれますよう、私は心から念願してやみません。
 私どももまた、尊き先人が切開いてこられた金剛の道、そして金の橋を、さらに強く、固く、広く、長く構築していくことに努力していかなければなりません。そしてその道を、新しき未来の世紀の人々に、立派に継承していくべき使命と責任があることを痛感するものであります。
 その軸となる根本は、信義の二字であると思っております。
 最後に鄧穎超先生、廖承志先生ならびに夫人、そしてご在席の諸先生方のご活躍とご健康をお祈り申し上げ、あいさつとさせていただきます。
 いちだんと澄みわたる中秋の名月のように、両国の友誼が円満であり享ことを祈って、乾杯させていただきます。

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