Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

鳥取支部結成18周年記念勤行会 勇気ある信心、確信ある祈り

1978.7.21 「広布第二章の指針」第14巻

前後
1  日寛上人は「この本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり」と仰せである。そのような御本尊の絶大な功徳に浴していけるためにも、勇気ある信心、確信ある祈りがなによりも大切である。絶えざる唱題で大功徳をうけ、力強い生命力を満々とたたえながら、日々有意義に価値ある人生を歩んでいってほしい。
 また、さまざまな御聖訓にも、御本尊の偉大なる功力は万人に平等であることが明かされている。それゆえに、皆さん方は安心しきった姿で、またいちだんと自信を深めながら、謗法だけは厳しく戒めつつ、仲よく朗らかに福運に満ちあふれた人生を築いていただきたい。
2  また「一生成仏抄」の一節に「然る間・仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり」とあるごとく、功徳を積みゆくもっとも大切な信心の基本は、もっとも身近にある。それゆえに、地道な実践の持続こそが仏道修行の肝要なのである。
 すなわち、日々の信仰実践の基本姿勢については、御本尊には素直な気持ちで強盛に祈念することである。
 信心は観念ではない。事実のうえで信じ行ずることである。
 広布のため、折伏のために動いたことそれじたいが、最高の仏道修行なのである。
 広宣流布は御仏意であるゆえに、広布に連なった行動はすべて福運に変わっていくことを確信されたい。
 一軒の家にも柱があり屋根があり土台があり、それぞれの役目があるごとく、人間もまただれびとにも役目があり、使命があり、広布を支えていくその功徳は一切が平等であることを忘れないで、鳥取の同志は一人も残らず不退転の信心を朗らかに貫いていくよう願っている。
3  行学を離れて仏法なし
 「諸法実相抄」に「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」とある。
 ここに仏法の骨髄があり、われわれの仏道修行の肝要もこの御文どおりの実践に尽きるのである。行学なくば一切が観念であり、行学を離れて仏法はない、という日蓮大聖人の御指南を、ともどもに深く銘記したい。
 また、われわれの信心は一生成仏のためのものであり、豊かな生命力で日々の生活、人生をたくましく生きぬいていくための原動力となるものである。行学は、この仏法の真髄に近づくために必要なのである。したがって、行学は信心を深め、深めたる信心によって行学も進む――この着実な実践を願いたい。
 さらに「我もいたし人をも教化候へ……」の御文のとおり、信心は義務でやるのではなく、あくまでも御本尊に対する絶対の”信”に立ったうえでの自発能動の姿勢で、どこまでも自分らしく、随力演説の御文のままに実践していくことが、正しい信仰者のあり方である。
 御本尊の功徳は無量無辺である。人生において、この偉大なる御本尊に南無しゆく信心に勝る宝はない。鳥取の皆さん方は、ますます信心への確信を深め、けっしてあせることなく、安心しきった境涯で、幸せの人生を築いていくよう願いたい。

1
1