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学生部結成21周年記念幹部会 我と我が友よ、広布に走れ

1978.6.30 「広布第二章の指針」第13巻

前後
1  私の家はノリの製造業者であった。最盛期は使用人も多くいたようである。そうした家業を一切支えていた私の父親は、あるとき”これからの時代は、学問を積まなければやっていけないなあ”としみじみ語っていたことを、いまになって思い出すのである。
 時代はどんどん進歩し、発展していく。その時代の流れを知らずにただ真っ正直に生きているだけでは、どうしても時流に取り残されてしまう。商売をするにも簿記が必要だ。経理も知らなくては効果的な行き方はできない。優秀な人々がいるところにはかなわなくなってしまう――と、たいへんに嘆いていたわけである。
 その点、諸君は恵まれている。ほんとうにうらやましいとも思う。草創期の学生部は、諸先輩からの体験を聞いてもわかるとおり、その土壌は弱く、どちらかといえば信用されていなかった。(笑い)
 しかし二十年を過ぎた今日では、人間も骨格ができ立派に成人するごとく、わが学生部も、もはや盤石である。とともに、広宣流布を目標とするわが学会の次代も盤石になったことに敬意を表する。
2  現今の社会は、そのあらゆる重要部門が、学問優秀な人材によって占められている。この事実はどうすることもできない。諸君の親の世代と今日とでは、決定的な”時代の差”というものがある。指導者はこのことを鋭く知っていかなければならない。
 時流はまさに、優秀な英知と知識による戦いの時代に入っているともいえるだろう。わが学会の広布の作業も、あらゆる分野に学生部の出身者をはじめとする優秀な人材群を輩出していく時代となった。私はこの時を、ひそかに期待を寄せていたものである。私は、諸君が立派に大成していくための一労働者として、これからも必死に行動していくであろう。
 どうか学生部の諸君は、どこまでも実直な庶民とともに歩み、庶民を守りながら進んでいただきたい。あとはこの広布の盤石な基盤のうえで見事な総仕上げの労作業をお願いしたい。
3  人生には大なり小なりの節がある。時代もまた同じである。しかし、不確定の時代といわれるなかにあって、われわれにとって確定した最大の未来の節は”二十一世紀”である。
 すべての団体も、そして人類もあと二十数年後の二十一世紀を目標に進まざるをえない。この二十一世紀こそ諸君の本舞台である。そこに躍り出るために、現在のさまざまな訓練、勉学、そして仏道修行があることを自覚していただきたい。
 二十一世紀の本舞台に、どれだけ大勢の優秀な指導者が輩出されたかによって、その後の二十二世紀、二十三世紀への流れも決定づけられるといってよい、この意味において私は、二十一世紀こそわれわれの勝負の時、と申し上げておきたいのである。
4  諸君には、それぞれの特質や才能がある。しかし、信心という一点だけは絶対に退転してはならない。これは、科学や経済、政治や学問の次元では解決することのできない宇宙の根本法則であるからだ。
 日蓮大聖人の「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし」との仰せを胸に、信心の実践だけは退転なくお願いしたい。
5  次代後継の勇者たれ
 人生の土台をつくる時代は、諸君の年代をおいてほかにない。若さゆえにさまざまな苦悩もあるだろうが、真実の人生の充実感は、唱題しながら進んでいくなかにしかない。真の信仰なき人生は、結局むなしいものだ。
 将来の大成のためにも、いまに努力し、いまに訓練をうけ、一人ひとりの人間と相対しながら、もっとも充実した青春時代を送ってほしい。そして、やがて広布の一翼を担い、次代後継の道を確定づけていくよう心より祈るものである。
 戸田前会長は、つねづね「次の学会を頼む」と若い青年に期待された。私は、そのとおりに歩んできたつもりである。と同じように、こんどは諸君の番である。二十一世紀を頼む――と繰り返して申し上げておきたい。
 妙法の世界一の学徒集団として、仲のよい幸福な人間味に満ちみちた仏法家族の一員として、諸君の英知と情熱に期待して、本日の指導とさせていただく。

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