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日蓮大聖人・池田大作

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練馬文化会館開館記念勤行会 ”法華経は宝の山なり”を確信

1978.5.9 「広布第二章の指針」第13巻

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1  練馬の皆さん方の真心の努力の結晶である立派な文化会館の落成、心より祝福申し上げる。ほんとうにおめでとうございました。
 本日、私は、練馬の皆さん方の無事安穏とともに、無量無辺の功徳が開けていくことをともどもに心よりご祈念させていただいた。どうか、お体を大切にしながら、これからも日々福運を積みながらの勇気ある仏道修行をお願いしたい。
2  イギリス人の性格を表す一つの話がある。
 それは――1人でいるときは退屈してしまう。二人になるとスポーツをする。三人になるとわが偉大な祖国を建設しようと決意し、語りあうというものである。
 この話を私どもの姿にあてはめてみるならば――1人のときは勤行しよう。二人集まったならば、教学の学習をしよう。三人となったならば、広宣流布のために語りあい実践する、との気概であっていただきたい。
 また後輩に対してはあたたかく励まし、先輩にはいちだんと求道心を燃やして、手と手を携えながら動き、語りあい、麗しい同志愛に結ばれた練馬創価学会を築いていくよう祈ってやまない。
3  「薬王品得意抄」に「其の中に渡りに船を得たるが如しと此の譬の意は生死の大海には爾前の経は或は筏或は小船なり……爾前の国は貧国なり爾前の人は餓鬼なり法華経は宝の山なり人は富人なり」とある。
 末法の法華経である日蓮大聖人の仏法こそ、一切衆生に生死の大海を渡らせる唯一の大船である。末法という現実社会に生きるわれらの人生行路を悠々と開き、功徳の大海へと進んでいけるかどうかということも、大聖人のご生命であられる御本尊に南無しゆくことで決まるのである。
 すなわち、いかだや小船では沿岸ぞいを行くぐらいしかできないが、大船であれば大海を渡ることができる。と同じように、波乱万丈の人生を乗りきっていくには、末法の法華経である大御本尊の大船が必要なのである。
 また、社会的にみれば、今日の広宣流布の盤石な基盤を築いたことも、苦悩の民衆にとっての偉大な大船であるとの誇りをもって進んでいただきたい。
 さらに、この御文のなかで、とくに「法華経は宝の山なり人は富人なり」の一節を深く確信すべきである。われらの信力・行力によって、法華経の宝山から、生命の宝を無限に取り出していけるのである。
 御本尊を受持した人は、最大に福運ある人であり、すべからく”富める人なり”との一節を深く胸に秘め、信心だけはまじめに、一生成仏の坂道を勇敢に登攀していってほしい。

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