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関西代表幹部会 民衆の夜明け、信心の大衆運動を

1978.3.18 「広布第二章の指針」第13巻

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1  大阪をはじめ、遠く福井からも、代表の幹部がはるばるおいでくださり、心より感謝申し上げる。また心よりご苦労さまと申し上げたい。本日の会合は、ぜひ一度、代表の幹部が東京に行きたいとの要請があって実現したものである。
 私どもは、皆さん方をあたたかく歓迎するものである。時間の許すかぎり、思い出を刻み、楽しい有意義なひとときを送っていただきたい。ますます皆さまの、明るい信心と美しき団結とたくましい広宣流布への活動を祈ってやまない。世界的に有名なローマ・クラブの会長であるペッチェイ氏と、私はただいま往復書簡を交わしている。人生観、世界観、文化観、人間観等々について、互いに質疑応答しながらの形式である。これは、やがて一冊の書として発表されることになろうが、未来の世界平和のための布石であると理解していただければ幸いである。
 このペッチェイ氏とは一九七五年五月にパリで、数時間にわたって懇談をしたことがある。まことに立派な方であった。その会談中、私が深く感銘した一言がある。
 彼は第二次世界大戦中、抗ナチ・パルチザンの一員として戦闘に参加した。そして捕まり、投獄された。パリでの会談のさい、彼はその間の模様を涙を浮かべながら訴え語っていた。
 「私は拷問につぐ拷問をうけた。苦しかった。最後は死刑を宣告された。私の祖国を思う正義は、これで無に帰してしまうと悲しんだ。しかし運あって、戦争も終わり、釈放の身となった。私がいえることは社会の舞台は移り変わったが、けっして私をいじめた人々を恨まなかった。悔しさを超克して自分をいじめた人々に復讐するという気持ちはまったくもたなかった。これが私の人間性の現在の誇りである」と。
 そのとき私は、仏法者でなくても、心の広々とした人が目の前にいることに、深く感銘したものである。彼は、学会の「人間革命」という理念に最大の関心をもっている。
 みずからも世界的運動を通して「人間性革命」を唱えてきた指導者で、そのことは有名である。ゆえに、互いの対談は、人間、文化、平和という点については、すこぶる共通性があり、楽しい有意義な会談として私の胸に残って消えないひとときであった。
 人間というものは、私どももそうであるが、よくなると、驕りたかぶるのがつねである。しかし彼の海原のような心の広さを知って、御本尊を受持する私は、そうした点からも自身の修行の足りなさを感じたものである。
2  私たちは、非難の連続をこうむりながら、広宣流布という聖業に挺身してきたことは事実である。人々からみれば、その行動が未曾有の足跡であったがゆえに、戸惑うこともあったであろう。そのために、いろいろと誤解や非難を生んだとも考えられる。
 しかし広宣流布という大衆運動を連続的に回転していかなければならない、宿命と使命と目的をもつ学会としては、絶対に避けられない道であったと思う。多くの社会運動、平和運動、文化運動、宗教運動があるが、ともすれば虚像であったり、または利害や売名のための運動であったりして、いつしかその火は消えている。
 数十年間にわたって、たゆむことのない私どもの大宗教運動は「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし」という大聖人の御聖訓を絶対に虚妄にしないとの確固たる前進であり、持続の運動なのである。
 ゆえに、いかに嵐があってもその回転の火を消してはならない。リズムを狂わしてはならない。さらに拡大に拡大をしていくことが、大聖人の御心にかなう民衆の夜明け、信心の大衆運動と申し上げておきたい。
3  大先輩である辻副会長は、ご存知のように、初代会長、二代会長、そして不肖私と、代々の会長とともに戦ってくださった学会の重鎮中の重鎮である。水の流れるような信仰の経歴をもち、どんな大難にあおうともつねに不退転で広宣流布の道に挺身されている姿は、私どもの手本であり、私の深く尊敬する方である。
 また、辻副会長は”個人指導の達人”である。一人ひとりの悩みを真正面から聞き、名前、住所をメモし、かかえている諸問題の内容も克明にメモし、的確にして明快な指導を連日にわたってしておられる。そして悩みを解決したという手紙がたくさん届き、妙法の偉大な功力を証明している。
 どうか、この辻副会長から、牧口初代会長以来の信心の実践をいちだんと会得していただき、こんどは皆さん方が”個人指導の達人”になっていただくよう願ってやまない。
4  福井という名は、以前にも申し上げたが「福運の井戸」に通じると思う。汲めども汲めどもなお尽きない福運に満ちた一人ひとりの人生、生活であってもらいたい。そのためにも徹底して、一人ひとりを大切にしていただきたい。
 その一人ひとりが偉大なる信心の体験と確信と使命感に燃えていくならば、その実証が本末究発して、かならず次の人も、さらに次の人も奮い立っていくものである。この原理を忘れないで、けっしてあせらず、福井の天地であの人にもこの人にも偉大なる人材の花を咲かせてあげようとの指導をお願いしたい。
5  御本尊を持つ功徳
 われわれが、大正法に巡りあえたということは、じつに大きな意義をもっている。日興上人は「於戲ああ仏法に値うことまれにして喩を曇華どんげの蕚に仮り類を浮木の穴に比せん、尚以て足らざる者か、ここに我等宿縁深厚なるに依つて幸に此の経に遇い奉ることを得」と仰せである。
 三千年に一度咲くといわれる優曇華の花にあうよりも、また一眼の亀が僥倖中の僥倖である浮木にあうよりも、なおすばらしいことだと仰せなのである。われわれは、御本尊を受持することのできた福運を、改めてかみしめなければならないと思う。
 きたる四月二日には、おかげさまで恩師戸田城聖二代会長の二十一回忌を迎えることができる。恩師は生前、つねに郷本尊の広大無辺なる功力を語ってやまなかった。
 戸田前会長はわれわれに、ただただ拝むのは御本尊様であることを教えてくださったのである。それが学会の行き方であることは論をまたない。
 その懐かしい思い出をしのびつつ、「大利益論」と題する論文のなかから、二、三かいつまんで紹介してみたい。
 前会長は、法華経譬喩品の文を引いて純真に御本尊を持つ功徳を、次のように述べている。
 第一に、智慧明了となり、多聞強識となる。
 第二に、過去の生命の深いところにある、よい因縁があらわれ、信心が深くなるという利益がある。
 第三に、精進、慈悲等の不思議な心があらわれてくる。
 第四に、禅定の境地がえられる。
 第五に、親戚中によい人のみが集まるようになる。
 第六に、御本尊様を求めてやまない境地になる功徳がある。
 第七に、怒りなく、すなおな境地になることができる。
 第八に、仏の境地の上に立って折伏できる功徳がある。
 第九に、邪教を絶対に受けないようになる功徳がある。
 第十に、御本尊様以外の何物も求めない境地になってくる。
 第十一に、正宗以外の何者の議論にも動かされない境地になってくる。
 日寛上人は「暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり」と仰せなのである。
 すなわち、強盛な祈りは凍てついた大地をたたき破るように、願いはかならず叶い、罪障消滅、福運倍増をもたらし、道理として、われわれの生活を一生成仏という幸福の軌道へと導いていくのである。
 どうか「信心の厚薄によるべきなり」の御金言のままに、生涯、御本尊を抱きしめて、雄々しく進んでいっていただきたい。
6  六月には、福井の地で文化祭があるとうかがっている。
 私も楽しみにしている。福井の広宣流布の一つの象徴として、けっして無理はせず、全員が楽しんで祝える、おおらかな文化祭であるよう希望する。そのときは、なにかとお世話をいただいている御僧侶のご出席をいただき、多くの来賓の方々にも見ていただきながら、福井の画期的な歴史と第二章のスタートともしていかれんことを祈ってやまない。
7  ともかく、義務的でなく能動的な信心には喜びがある。喜びのある信心には、功徳が勝る。功徳の大海で確信あるご奉公をするところに、信心の醍醐味がある。これこそ絶対に世間では味わえない、私どものみに与えられた妙味であり、大聖の大慈悲につつまれた最高の人生の幸せの境涯といってよい。
 本日、披露されたたいへんにすばらしい県歌を、今後も高らかに歌いながら進んでいかれるよう切望し、さらに皆さまのご健康とご一家のご隆昌を深くお祈り申し上げ、本日の指導とさせていただく。

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