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創価大学第4回卒業式 ”母校愛”と”信念の道”に生きよ

1978.3.17 「広布第二章の指針」第13巻

前後
1  かずかずの思い出を刻んだ四年間の学業生活を終え、新たな人生の挑戦の舞台へと躍り出ていく諸君の前途を期待し、まず心よりおめでとうとお祝い申し上げたい。
 また、有為な青年をあたたかくも厳しく薫育して世に送り出してくださった高松学長をはじめとする諸先生方、さらにサてれを陰で支えてくださった父兄の皆さま方の労苦に、創立者として衷心より御礼申し上げるものである。
 本日を期して、諸君の大部分は、実社会の荒波のなかへ、旅立っていくわけである。諸君は、それぞれの立場で、未知の世界への希望と不安の交錯する毎日であるかもしれない。どうか、あせらず、今後直面するであろう荒波にも、若さの特権である果敢な闘魂をもって臆せず、みずからが決めた信念の道を、力強く歩んでいってほしい。
2  不確実性の時代
 ご存知のように、諸君を待ちうける社会の状況は、かならずしも明るくない。それどころか、ここ数年来、日本の社会の前途をおおっている霧は、いっこうに晴れようとしない。かえって濃度を増しているのが現状であるといってよい。これは、なにも日本に限ったことではなく、世界的な傾向のようである。
 私は、最近、有名なガルブレイス教授の新著「不確実性の時代」を手にする機会を得た。教授は、そのなかで、現代にはこうだと明確に線を引ける確実な指針がない。きわめて不安定要素の強い時代であると語っている。とくに教授は、現代社会から指導理念の喪失してしまったことを深く憂えている。
 かつては、アダム・スミスの時代の”見えざる手”や、マルクス主義全盛期の”社会主義への必然的移行論” などは、その是非はともかく、社会の動向を照らし出す鏡としての役割を担っていたというのである。
 ところが現代では、どこを見渡しても、そのような理念の鏡を見いだすことはできない。人々は、何を基準にして未来をめざしたらよいのかわからず、右往左往している。まことに「不確実性の時代」であると語っているわけだ。
 私も、この現状認識について同感である。たしかに核兵器の脅威や公害、資源、人口問題等、人類の存続さえ危うくするような重要課題は山積している。
 しかし、より深刻な問題は、人々がそれらの課題と信念をもって取り組むにたる指導理念、哲学が欠如していることにある。
 前途に希望があれば、人間の心は明るい。不確実であることほど不安なことはない。まさに”宇宙船地球号”は、羅針盤もなしに荒海を漂う小舟のような状態におかれているといってよい。
 ガルブレイス教授は、さらに核の回避を論じたところで、共産主義の死の灰も資本主義の死の灰も識別できないという冷厳な事実にふれ「あまりにも多くのことが不確実である時代だが、一つだけ確かなことがある。それは、右の真理にわれわれは正面から取り組まねばならぬということにほかならない」と。
 ガルブレイス教授の言を借りて申し上げれば、私もまた、不確実な時代にあって、一つだけ確実なことがいえる。
 それは、まぎれもなく諸君は、その時代に生きぬいていかなければならないということである。そして、不確実な時代であるがゆえに、逆に確実に足元を固めるべきであると申し上げたい。ゆえに、まず当面の課題と真正面から取り組み、足元を固めつつ、一歩一歩、未来を切り開いていくべきである。そうした地についた労働のなかからしか、新たな創造というものは生まれないからである。
3  生涯にわたる目標を
 そのさい、つねにそれぞれの立場でなんらかの目標なり課題をもつことが大切である。みずからの目標課題に向かって、ひたむきに生きている人は強く、いつ会っても満々たる生命力をたたえているものである。
 逆に、目標なき人生は、一見恵まれた環境にあるようにみえる場合であっても、どこか暗く、退嬰的な影におおわれているものだ。現代は、その暗影がことさら大きく広がっている時代である。
 それだけに諸君は、そうした時流の惰性に流されることなく、みずから選んだ目標に挑戦しつづける、意義ある青年時代を刻印していっていただきたい。
4  私の恩師戸田城聖先生がよく引きあいに出された本に、アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」があった。もとよりそれは、復讐をテーマにした物語であり、その理念の低いことはあえていうまでもない。しかしながら、一つのことを成し遂げるために、あらゆる苦難をはねのけていく執念にも似た意志の力は、だれびとの胸にも感動を呼び起こさずにはおかないであろう。
 そのなかで私は、非常に心をうたれたひとこまがあった。
 ご存知のように、エドモン・ダンテス青年はある謀略にかかり、十四年もの長きにわたりシャトー・ディフの牢獄に囚われの身となる。
 赦免の見通しがまったくないと知ったとき、彼は、絶望のあまり食を断って自殺しようとする。そのとき、同じ囚人のファリア師と遭遇し、謀略の秘密を教えられるわけだが、それとは別に、ダンテス青年は、ファリア師のもつ学識の驚くべき広さに驚嘆するのである。そして、ぜひ自分に学問を教えてくれるよう懇願する――。それから一年、生来の資質もあってか、無学でたくましいこの青年は、乾いた大地が水を吸い込むように学問を学びとり、別人のような変身をとげていくのである。
5  私が感動をおぼえたのは、一つの目標をもったときの人間の変わり方の激しさである。絶望の暗闇のなかで死のみを考えていたダンテスと、ひたぶるに学に打ち込む彼の姿との際立った対照は、目標をもつことの重要性をあまりにも鮮やかに示していると思うのである。
 どうか諸君は、それぞれ、自分らしい希望と目標とを、生涯もちつづけていただきたい。もとより目標、理想の浅深、高低も重大な問題であるが、若いときに奉じた課題と理想を一生涯にわたってもちつづけることが、人間としての勝利の鍵だからである。
 たしかに、ガルブレイス教授のいう、なにごとも「不確実」な時代にあって、一つの目標を定め、もちつづけることは、なかなか困難なことである。しかし、諸君は若いし、ともかくなにごとかを課題に生きている。そのなかで、膚で感じ、つかみとったものを大切にしていっていただきたい。
 懸命な努力のなかで鍛えられた力というものは、どんな苦難に遭遇しても屈することのない、驚くべき発条となっていくものだからである。
 どうか、ヤスパースもいったように「どんな状況も、絶望的なものではない」と決めて、青年らしく、大きな心で、社会に貢献していってほしい。
6  母校愛をもて
 ここで母校愛ということについて申し上げておきたい。私は、この言葉がもつ清新な響きが非常に好きである。
 諸君の大部分は、これから社会に入っていく。一流会社に勤務する人もいるし、そうでない人もいるであろう。また、家業を継いでいく人もいるかもしれない。それは、たとえていえば、いろいろな人がさまざまな船に乗って、社会という海原に旅立つようなものである。
 しかし、創価大学のキャンパスに集い、学んだ経験は、永遠に一つである。それは、ことあるごとに諸君の心に、同窓の快い響きを蘇らせていくであろう。
7  ヒルトンに「チップス先生さようなら」という小説がある。ご存知と思うが、ブルックフィールド校という、イギリスのあるパブリック・スクールに、長いあいだ勤めつづけた一教師の生涯を、回顧風に描いた作品である。
 四代もの校長のもとで教鞭をとりつづけた彼は、酒落のわかる感覚と、生徒の名前と顔をすぐ覚えてしまうことを特技とする名物教師である。彼のまわりはつねに笑いにつつまれている。
 中年になって、山登りで知りあった若い娘と結婚するが、幸福も束の間、出産のさい、母子ともに帰らぬ人となってしまう。しかし、母校と生徒たちへの彼の愛情は変わらない。ある校長は、彼を排斥しようとするが、生徒や父兄からたちまち反対運動が盛り上がり、沙汰やみになってしまう。六十五歳で退職するが、校門の前に下宿を探し、愛する生徒たちの登校、下校の姿を見守りながら、ときどきお茶に呼んで昔話などに興じている、第一次大戦中は、若い教師の出征などもあってふたたび教壇に戻った彼は、懐かしい教え子たちの戦没者名簿を涙とともに読み上げるという、つらい役目まで引き受けざるをえない。
 戦後、校長になる機会があったにもかかわらず、適任ではないと断って、もとの下宿生活に戻り、悠々自適の晩年を送っている。そして、八十歳を超えた一九三三年のある晩秋の日、何千人もの子供たちの惜別の大合唱を夢のなかで聴きながら、眠るようにして人生を閉じたのである。
 私は、チップス先生の生涯を思い描くたびに、教える方も、学ぶ方にとっても、母校というものは、ほんとうによいものだと痛感されてならない。おそらく生徒たちも、母校の看板を背に、ときどき懐かしいチップス先生の顔など思い出しながら、多くの分野で活躍していったにちがいない。
 ウェリントン将軍が、ワーテルローの戦いでナポレォンを破ったさい、彼の出身校であるイートン校をさして「ワーテルローの勝利の因は、イートンの校庭にあった」といったのは有名な話である。
 パブリック・スクールの時代に、いかに事に処する勇気や忍耐力、努力の精神が養われるかを示すエピソードであろう。
8  ともあれ、純粋で感情の起伏の激しい青春期に、喜びや悲しみをわかちあい、ともに鍛えあった思い出は、永遠に消えるものではない。「どこどこの学校出身」という誇りは、社会の幾多の荒波を乗りきっていく強い支えとなっていくにちがいない。
 諸君も、創価大学出身であるという誇りを、生涯、忘れてはならないと思う。いな、諸君は、生涯にわたって創価大学出身であるという目で見られていくであろうことを運命と思ってあきらめていただきたい。
 創価大学は若く、新しい大学である。社会的評価もまだ定まっていないといってよい。したがって、諸君たち一人ひとりの今後の姿を通して、創価大学への評価が決まってくるであろう。
 どうか、創価大学の草創期を築いてきた先駆である諸君は、率先して後輩の道を切り開いていっていただきたい。
 そのことを心よりお願いして、私の卒業記念の祝辞とさせていただく。

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