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日蓮大聖人・池田大作

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埼玉県婦人部勤行会 ”現世安穏・後生善処”の信心を

1978.3.7 「広布第二章の指針」第13巻

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1  本日は埼玉の地より、わざわざ記念勤行会においでくださり、心から感謝申し上げる。ただいまは、ごいっしょに唱題でき、御本尊様に私も心をこめて、皆様方のますますのご健康とご一家の隆昌をご祈念させていただいた。どうかお帰りになったら、ご主人に、また地域の同志に、くれぐれもよろしくお伝え願いたい。
2  成仏と広布のための信心
 信心は何のためにするのか。それは成仏のためである。また広宣流布のためである。
 成仏といっても御書に「きてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり」とあるごとく、”生の成仏”と”死の成仏”があると説かれている。つまり、成仏とは死んでからのことのみをいうのでなく、この生きている当体のままで仏の生命をうけていくのである。
 したがってわれわれの信心とは、一生成仏のために、また広宣流布のために、との人生を生きぬいて、南無妙法蓮華経という題目を唱えに唱え、広宣流布のために戦っていくことである。そこに謗法による罪障も消滅し、宿命転換もでき、最高の幸せの境涯が築かれていくのである。
3  およそ、自分だけの幸せのみを願い、それでよしとする生き方は、仏法上、慳貪の罪となってしまう。道理のうえからいっても、それはエゴ的な生き方といわれてもやむをえない。
 御本仏日蓮大聖人は、あくまでも平等大慧であられる。したがって、その大聖人の末弟であるならば、偉大なる妙法、すなわち御本尊を、人にも教えてあげるべき責任をもっているわけである。その責任感から発する真心の行為、実践が、広宣流布の一つの姿なのである。
 だからといって、相手がすぐに信心するとはかぎらない。その人自身の仏縁によるからである。われわれにとっては「随力演説」といって、それぞれの立場で、自分らしく自分の力にしたがって、仏法を説き弘めていこうとする信心があることが大切なのだ。
4  自分らしく日々すがすがしく題目を唱え、御本尊を受持できた感謝の心をこめて、人にも教えてあげようとする姿は、もはや慈悲の行為である。またその姿が、自行化他にわたる信心である。そして、この信行を深めるために教学が必要となってくるわけである。
 この信行学の根本路線を、太陽が毎日同じ軌道を運行しゆくように、自分らしく繰り返していくことが仏道修行の肝要である。
5  ともかくわれわれは、ありとあらゆる宿命を背負って、この現実社会に生まれてきた。もっとお金持ちの家に生まれればよかったと思う人もいるだろうが、自分でつくった宿命だから仕方がない。(笑い)
 そのさまざまな宿命をよい方向へと転換できる力の根源が、御本尊である。
 この偉大で深遠な法理が、身近にありながら理解できないでいるのも、凡夫である以上やむをえないことである。しかし、十年、二十年と信心の年輪を刻んでいくうちに、大福運につつまれた人生、生活の事実の証拠によって、深く確固と理解できるようになるのである。
6  ”生老病死”
 この世に生まれたわれわれは、だれびとも「生老病死」の四苦をまぬかれることはできない。
 まず「生」――生まれる苦しみであり、また生涯、この厳しい現実社会で生きていかねばならないという苦である。「老」――だれびとも、やがては老いていく。「病」――老いとともに病をうけざるをえない。「死」――そして死んでいかねばならない。
 この人生の根本的問題に対し、常住不変の生命の覚知によって解決してくれるのが、われわれの御本尊であり、信心なのである。
7  御本尊に題目を唱えていけば、力が出る。かぎりない生命力が湧いてくる。その生命に福運がついていく。まさに題目こそ、この現実社会に生きぬいていくための原動力である。
 そして福運につつまれながら老いていく。子供たちや孫から、あるいはまわりのあらゆる人々から、長寿を祝福されながらの人生を送っていくためにも、信心だけは粘り強く持続していただきたい。
 やがて、なんらかの病をうける。しかしそれは御書にも説かれているとおり、信心をしっかりしている人は”本有の病”といって、病状によって多少異なるが、共通して苦しみが少ない。その実相は、六根清浄という妙法の根源の力が作用して、生命の本然的な蘇生を意味している。そして死ぬわけであるが、これも、半眼半口の成仏の相をもって、永遠に連続する生命の新しい出発となるわけである。
 ゆえに「道理証文よりも現証にはすぎず」で、この御本尊に唱題しぬいていくならば「現世安穏・後生善処」の経文のごとく、現実信命を打開し・即身成仏の当体となることができるのである。したがって信心だけは百分のためにも強盛に勇んで実践しぬいていただきたい。
 ともかく、信心の世界においては、法のため、広布のために悩み・苦しんだことが、一切をプラス面に転じていける力となるのである。
 このこと深く確信し、楽しく、朗らかに、悠々と生涯にわたる信心を貫いていかれるよう心より祈って、本日のあいさつとさせていただく。

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