Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第1回各部代表懇親会 日々正しい勤行実践を

1978.2.28 「広布第二章の指針」第12巻

前後
1  「勤行」は「行に勤む」と読むように、私たちの仏道修行の基本であり、したがって、各人の人生の規範となるものである。
 勤行という漢字をみれば明らかなように、「勤」は勇気をもって善行をなそうとする心の働きを表し、「行」は修行や意志的な努力を意味しているととれる。ともに勇気、意志、努力などの自発能動の意義がこめられている点に、まず注目しておきたい。
 日常の生活のなかで、ほんの小さな善い行為を人にしてあげるのにも、私たちは勇気や強い意志が必要だ。ましてや、人法一箇の御本尊の前で毎日、朝晩行う五座三座の勤行儀式は、いわゆる小さな善行ではない。
 周知のとおり、五座三座の勤行はわが生命から、仏界の生命を泉のごとくわきだす崇高なる儀式であり、同時に、それはわが生命の波長を、宇宙本源のリズムである南無妙法蓮華経の律動に合致させる最高唯一の修行なのである。その意味で、まさしく勤行儀式は、御本尊を前にしての、私たちの自己自身との境智冥合であり、真剣勝負である。
2  この一念の姿勢を明確にして、今度は色法のうえで具体的には、いかなる姿勢と作法が正しいのか。正宗の作法にしたがい、在家としてのその正しい姿勢を個条的に述べてみたい。
 ① 御本尊の前に座るとき、胸を張り、背筋をまっすぐ伸ばして正座する。そして目は御本尊の南無妙法蓮華経の”妙”の字を見る。
 ② 読経、唱題の声は、朗々とすがすがしい響きのある声で行う。また読経、唱題の速度は、速からず遅からず、白馬に乗って軽快に走るようなリズムで行う。
 ③ 合掌の両手は、いちおうわが胸にあて、口の前にもってきたり、ひざの上においたりしないこと。
 ④ お水、仏飯、おしきみ、燈明、線香など、勤行儀式において御本尊に御供養するものについては、その取り扱いを慎重にし、つねに仏壇の中、および周囲を清潔にしておくこと。
3  経本について一言申し上げたい。
 十年、二十年にわたって、初代会長ならびに二代会長の追善回向をどこですべきかとか、学会の興隆を願ってはいけないのか、という質問が枚挙にいとまないほど寄せられた。ある人は、両会長の追善回向をもったいなくも三座でしたり等々。あくまでも御本尊に題目を唱えるのが根本であるが、そうした具体的な点も、学会員が一千万人までなった以上、ある程度、決めておかなければならない段階に入ってきた。
 大仏法を拝し奉り、信心の大功徳を積み、そして今日があるという人たちからの純粋な真心のこもった質問も多かっただけに、創価学会としても、なんらかの回答をする必要に迫られ、このことを宗門に相談申し上げた。昨年の二月二十四日の宗門との連絡会議で、このご祈念の草案をつくって相談申し上げ、修正を加えるなどして、その基本的な方向が了承された。その後、総本山のご認可を賜ったしだいである。
 そして昨年の三月、日達上人猊下のご認可を賜った御観念文、すなわち創価学会の興隆祈念と、歴代会長の報恩回向を含めた新観念文を、数度にわたって聖教新聞紙上に紹介させていただいたことはご存知のとおりである。
 しかし、聖教新聞に発表したものの、ぜひとも経本にしてもらいたいという要望があまりにも多く、やむにやまれず創価学会版の新経本を作製し、それを全広布部員に贈呈したものである。残った一部を、主要会館にて販売をしているというのが現状である。
 ただし、大石寺版の経本が原典であるし、そのまま使用することも当然結構なのである。また先の御観念文も、よく覚えておけば、いちいち学会版の経本によらなくてもよいわけである。
 なお、過日、お約束申し上げた「法華経方便品寿量品」の解説、講義については、五月ごろより、聖教新聞紙上で連載させていただく予定である。
 互いにたゆまざる勤行をしぬいて、大聖人のご照覧のもと、晴ればれとして生きいきとした大切な一日一日を送っていただきたいことを念願して、本日の指導とさせていただく。

1
1