Nichiren・Ikeda
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神奈川県婦人部勤行会
信心の功徳は感謝の心に
1978.2.27 「広布第二章の指針」第12巻
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1 本日は、遠い所から勤行会においでくださり、心より感謝申し上げる。きょうの会合は和泉副会長の担当であり、私以上に指導力のある方である。皆さん方は、この学会の大先輩である和泉副会長から指導をうけられたので、私はあいさつのみとしたい。
「文底秘沈抄」のなかに妙楽大師の言葉を引用して「仮使発心真実ならざる者も正境に縁すれば功徳猶多し」との一節がある。
信心の動機は、さまざまあってよいのである。子供のこと、主人のこと、病気のこと等々、なんでもよいのである。「正境」――すなわち御本尊に、祈り、唱題していくならば、すべてに利益があるとのお言葉であられる。
私も、はじめから大きな目的をもって信心したわけではない。しだいに信心が深くなっていけば、日蓮大聖人の慈悲とご指南がわかっていくものである。
お互いに、平凡な凡夫である。多くの有名人とか、社会的に偉い人はいるようにみえるが、真実の人間としての偉さは、しょせんは、妙法への信心の浅深、厚薄によって開かれていくものである。ゆえに御本尊様からおほめいただけるような、信心の位の高い人でありたいものだ。
2 御書のなかに「未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱつときへて……」とある。
悩み多きわれわれではあるが、絶対の当体たる御本尊に対し、信心の深い一念があるならば、そのときより、宿命打開という幸福への路線に入っているのである。あとは時が解決してくれるのである。
信仰者は、常識豊かでなくては、真実の信心があるとはいえない。ともかく、なにがあっても御本尊を抱きしめながら、生きて生きて生きぬいていくことが、最高の人生であることを銘記されたい。この一つの証拠として、聖教新聞紙上に連載されている「信心20年の貫録」の方々を規範としていただきたい。
ご主人様方に、くれぐれもよろしくと申し上げ、失礼させていただく。