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無量山仏寿寺落慶入仏式 妙法流布へ晴ればれと前進

1978.2.23 「広布第二章の指針」第12巻

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1  本日は、もったいなくも総本山より御法主日達上人猊下の御親修を賜りましたことを、願主といたしまして厚く御礼を申しあげます。
 かねてより、狛江の天地に、正宗の寺院が待望されておりましただけに、参集の皆さまをはじめ、地元の法友の方々にとっては、ひとかたならぬ喜びであると思います。宗門の隆昌のため、また広宣流布のために、衷心よりお祝い申し上げるものであります。
 この狛江の地は、ご存知のように、武蔵野台地の一角にあり、南は多摩川に面し、太陽の光と清らかな水に恵まれた美しい天地であります。
 歴史は古く、文献では、五世紀の初めごろ高麗人が帰化し、多摩川の入江に臨んだ所に住居を構えたことに由来して、狛江の名がつけられたといわれています。また、この地域には、古墳が多く、清らかな水や川があって、人間が住むにはたいへんよい場所であり、縄文式土器も多く出土しているとうかがっております。ゆえに、古来から、多摩川とともに文化の栄えた”開かれた天地”と推定されるのであります。
 古き文化と歴史をもつこの大地に、きょうここに新法城の成ったことが、新しい妙法の大文化の開花の先駆となりゆくことを信じてやみません。
 住職になられた関快道尊師については、四年半の南米生活におかれましても、現地のメンバーが心から尊敬し慕っておりました。広い南米数か国を、一人で出張御授戒に奔走され、各地に関快道尊師を慕う喜びの声が寄せられておりました。
 まことに人格の清純な方であり、地元信徒の方々にも、関快道尊師を尊敬申し上げ、地域の妙法流布の晴ればれとした前進を果たしていただきたいことを、心より念ずるものであります。
 私は、二月中旬に、猊下にお目通りいたしました。そのさい、種々ご指南をいただきましたが、猊下におかせられましては、風邪ぎみであられたようです。私は、少々お休みいただければ、と心で願っておりましたが、猊下は、いかに具合が悪くとも、総本山におられるときは、ただの一ぺんたりとも、丑寅の勤行をかかしたことはないといわれたのであります。私は、感動し、また、まことにありがたいことであると思いました。
 私ども、人類のために、国家安穏のために、ご祈念くださる御法主上人猊下のお姿をまことにありがたく拝したのであります。
 私は、いま、御法主上人猊下にじっくりとご指南をあおぎながら、万代にわたる僧俗の理想的和合と広宣流布への前進ができうる体制を考えております。かならずやご僧侶も、また私どもも、楽しく、すがすがしく仏道修行に励みゆけるようになることを祈ってやみません。この地においては、その第一歩の理想的な地域となりますよう、心よりお願い申し上げます。

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