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日蓮大聖人・池田大作

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第21回2月度本部幹部会 感謝の信心は福運の人生を約束

1978.2.18 「広布第二章の指針」第12巻

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1  よく戸田前会長はいわれた。御本尊につねに感謝の念をもっている人は、いよいよ栄える。福運がいよいよまさる。大功徳をうけながら感謝を忘れた人は、福運が消えていく――と。
 その感謝の行動として、布教がある。人々への指導の奉仕がある。それが、また福運をいや増すのである。
 大聖人の仏法の本義は、顕益よりも冥益にある。冥益という功徳は、揺るぎなき人生の土台のうえに確立されていく、歓喜と絶対的幸福の境涯といってよい。
2  役職の任免について
 学会には組織がある。その組織を運営していく幹部の役職について、一言申し述べたい。
 まず、幹部として任命し登用することはやさしい。それから、その人をどう指導し、育成していくかがもっとも大事になる。しかし、それ以上にむずかしいのは、解任する場合である。やむをえず解任する場合もあろうが、できるだけ解任はしないように努力すべきである。それは、すべて任命したわれわれの責任でもあるからだ。したがって、任命は最大に慎重にしよう。
 しかし、それでもなお、人間としてだれがみてもよくない幹部がでることがあろう。その場合は、残念ではあるが大勢の人のためにも、勇断をもって解任する以外ない。検討の結果、最終的に解任するとしても、あらゆる面から最大の配慮をめぐらして、その解任が当人の信心の向上につながるようにしなくてはならない。また、その解任が、本人のためのみならず、支部員のためにも、すべてを一歩前進せしむるものであっていただきたい。
 また最大の配慮をめぐらせたうえで解任した場合、それでもなお怨嫉をしたのであれば、本人が悪いのである。御本尊様はすべて公平にみておられることを確信されたい。
3  幹部の基本姿勢
 幹部は毎日がたいへんであろうが、会員がいるから充実した自己の向上ができるという自覚を忘れまい。そうした後輩のために尽くすことは、仏の使いにあらずんばできえぬ行動である。幹部にとって全法友は、いうなればすべて善知識といってよい。
 また後輩の支部員は、成仏の山に登攀すべく、先輩幹部が先に立ちながら叫んでくれることに、無量の感謝をすべきである。その求道の坂を登るには、いささかたりとも傲慢な気持ちがあってはならない。
 信心を導いてくれるということは、自己と一切の眷属にいたるまで無限の幸福境涯を開いてくれていることにほかならないからだ。世間の低い小さい次元の世界の指導とは違うからだ。
 よく何人、優れた人を生むかによって、その指導者の価値が決まるといわれる。
 仏様は、一切衆生を仏にするというのが使命であられる。仏子であるわれわれは、われわれの立場で、自分より立派な指導者をつくり、活躍してくれることを、なによりの喜びとしていこう。そこにこそ、広宣流布と信心の脈動があるといってよい。
4  幹部は、自分が年輩になったときには、潔く次の優秀な人材と交代し、みずからは新しい立場を本有常住の場と心に決めて、喜んで活躍することがまことの信心である。すでに幹部になったときから、自分のあとを託すべき人材の育成に取り組んでいくのが、真実の幹部である。そうでなければ、名聞名利に心が堕ちている証拠である。
 なお、大勢のなかにあっては、幹部になれなかったといって怒ったり批判したり、退転していく人もたまにある。それこそ名誉主義であって、成仏への信心の道ではない。
 なお、幹部の任免については、本部人事委員会、県人事委員会等で、多方面から協議していることをご了承願いたい。
5  重要な持続の信心
 大聖人の仏法の信心は、一生涯、持続の信仰をした人のみが、信仰の真髄を会得できるのである。
 長い人生には、さまざまな紆余曲折があるだろう。個人的にも、また社会的にも、いかなる困難な道に直面したとしても、生涯、信心を持続し、人生の栄冠を飾っていただきたい。人生はマラソンであり、成仏のゴールインをもって飾ることだ。
 信心がある人は楽しく強い。長い人生にあって、哲学をもたない人は、いつか煩悶と苦痛の日々が待っているといってよい。
 心して慈悲と哲学をもった仏法者らしく生きぬき、すばらしい人生を送っていくことをともどもに心に誓いあって、本日の私の指導とさせていただく。

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