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日蓮大聖人・池田大作

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日蓮大聖人御聖誕御報恩記念勤行会 よき信徒に、よき学会員に

1978.2.16 「広布第二章の指針」第12巻

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1  末法の御本仏日蓮大聖人御聖誕の天地・千葉県の法友の皆さまと、報恩感謝の読経、唱題ができ、仏弟子としてまことにありがたく、ここに感謝申し上げるものである。聖地・千葉で、広布に活躍される皆さま方の題目の力は、日本第一の強い題目であるという自覚で、本日からまた勇敢に進んでいかれるよう、祈ってやまない。
2  正しい信仰者の人生は、充実している。信仰のみは、人類、人間だけができうる最大最極の、人間としての生命の薫発であることを知っていただきたい。人生の表面上の喜怒哀楽は同じといってよい。しかし”浅きを去って深きに就いた”正しき信仰ある人は、いかなる喜怒哀楽をも力強く乗り越える丈夫の人生を生きることができる。
 その正しい信仰は、末法今時の乱世の社会にあっては、ただ一つしかない。すなわち法燈連綿と七百年護持されて、正本堂にまします大御本尊様である。そしていまここに、法水瀉瓶唯授一人血脈相承の第六十六世御法主日達上人猊下によって、一切が受け継がれているのである。その大御本尊に帰依し、南無することが正しい信仰であることは、ご存知のとおりである。
3  その日蓮正宗の外護とし、信徒の団体として、慈折広宣流布に励んでいるのが、わが創価学会である。
 その信心は、よき正宗の信徒としての信心でなければならない。さらに広宣流布の実践、活動面においては、よき学会員としてご奮闘を願いたい。大法戦にあって総本山に傷をつけてはならぬために、われわれの外護の使命があることを銘記されたい。
 したがって私ども信徒は、各地域の寺院にあって理想的な僧俗和合でなければならない。いささかたりとも御法主上人猊下の、ご宸襟を悩ませることがあってはならない。
 昭和五十六年は、御本仏日蓮大聖人の第七百遠忌である。すでに発表があったごとく、後世に残る盛儀にしていきたいことを決意している。
 六十六か国の代表が集まるこの第七百遠忌を目標として、また一閻浮提の仏法という意義のうえからも、再び世界の国々へも行かなければならないと思っている。
 主師親の三徳具備の御本仏は、三世永遠にお一人であられる。その、ご生命は、御本尊である。また遣使還告のお姿として代々の御法主上人と拝すべきである。
 よく世間では、大聖人を菩薩の次元でとらえている宗旨があるが、大謗法もはなはだしい。南無妙法蓮華経即大聖人であり、大聖人は、久遠元初の自受用報身如来であられる。その人法一箇の大御本尊に「南無妙法蓮華経」と唱えるときに、成仏ができるのである。
 この御本尊受持の正しい実践は何か。それは、「自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」と仰せのように、みずから勤行、唱題に励むとともに、布教し広宣流布していくことである。とともに、円融円満の正法であるから、生活のうえに厳然と見事な実証を示していくことも大切となる。
 ともかく、正法には犠牲がない。たとえ当座は犠牲にみえても、妙法に帰命したてまつった蘇生の生命として永遠に救われ、生き栄えていくのである。
 これを確信して、仏弟子らしく勇気と希望と寛大と忍耐をもって、立派な正しい仏道修行を貫き通していくことを誓いあって、本日の私のあいさつとしたい。

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